2019年10月3日

なぜ給料が上がるのか

年収を上げるために、スキルアップとかキャリアアップとかと言われる。
 
単純に考えれば、経験や能力を上げて多くの結果を出せば給料が上がるように思う。
 
しかし実際は少し違う。
マルクスの資本論を読むと、給料の決め方は大勢が思っているものとは異なる。
 
素人の解釈だが。
「給料は、次の日に出勤するための一般的なコスト」
例えば、食事や住居のためのお金、睡眠の時間、衣類や健康保険。
他の会社に移ってしまわない程度にモチベーションを保つ福利厚生。
それらのうちの一つが給料だという。
 
中国よりも日本のほうが人件費が高いのは。
中国人より日本人のほうが優れているわけではなく。
日本のほうが物価が高いからだ。
 
そうすると、給料の上がる理由は能力ではなく。
「結婚して家を買うような年齢になっているから」だ。
 
しかしそれでは、給料の額は、価値の生産とは何ら関係が無いことになってしまう。
では、意図的に給料を上げることはできないのか。
では、同じ年齢でも給料に違いがあるのは何故なのか。
 
少し長くなったので、続きは次回。

2019年10月2日

文字を書く

リハビリのため、しばらく駄文を垂れ流すことにする。
 
私は活字中毒だ。
例えば食品のパッケージに書いてある説明書きとか、ポスターに書かれた文字をつい読んでしまう。
(しかしすぐに忘れる)
 
Twitterが好きで、休みの日はかなり長時間Twitterを眺めている。
24時間新しい文字が流れてくるTwitterは、活字中毒にとって最高の環境だ。
他にも、興味のある内容について延々とWikipediaをめくり続けることもある。
 
以前、SNSをやっていない人から「SNSの何が楽しいの?」と聞かれたことがある。
咄嗟に「タバコのようなもの」と答えた。
 
特に意味は無く、ただリラックスできるからやっている。
活字中毒という言葉と合わせて考えると、間違っていない回答だと思う。
 
私のつぶやきは約7万5千で、着々とツイ廃に近づきつつある。
(俺の中では10万以上がツイ廃だ)
そこそこ長い時間Twitterをやっていて、面白かったし辞めるつもりも無いのだけれど。
 
一定以上は時間の浪費だということも判っている。
ある程度のニュースを得ることはできるが、長く続けて蓄積するものは無い。
(ちなみに私はテレビと新聞を一切見ない)
 
Twitterはリアルタイムに情報を得るという側面が大きい。
対してFacebookは電話帳だ。(電話帳登録が無くてもメッセージが送れる)
そして、文章のアウトプットとしては、やはりBlogが一番いい。
こうやって長文を書いて思考を整理するというのは、他のツールでは出来ないことだ。
 
Blogにはまだまだ利用価値がある。
こうやって吐き出すことは、ただ読むだけの行為とは明らかに違う。
そう思っている。

2019年9月30日

ごぶさた

TwitterとFacebookはそこそこ書き込むのだが。
Blogに書き込むことがほとんど無くなってしまった。
 
Blogを母艦として、それ以外は枝葉だと思っているのだが。
ちゃんと書こうとするが故に書かなくなる。
 
思うに、俺はただ吐き出せば満足してしまうようで。
媒体には拘りは無いようだ。
それからまぁ、Blogってのはイイねやコメントが付きにくいので、あまりモチベーションが上がらないのだろう。
ともあれ、辞めるつもりは無い。
 
書いていればそれが続き、書かなければそれが続く。
慣性の法則、習慣というやつだ。
 
BlogはTwitterやFacebookよりも長文が書きやすい。
頭の体操としては丁度よい。
 
ピアノの練習をしていると左手の指が動く。
していないと動かなくなる。
似たようなものだ。