2017年5月1日

仕事とは何か?

工場で鉄を削ることと、オフィスで設計をすること。
数字を追い求めることと、機能の無いジュエリー。
日本の仕事と、中国の仕事。
全ての共通点が判れば、それこそが仕事の本質だろうと考えた。

 

交換経済、贈与経済、貨幣経済。
お金とは利便性のためにあるもので、絶対必要なものではない。

交換経済では、肉と魚を交換するとして、優劣があるものではない。
お客様が神様だ。などという考え方は無い。

贈与経済では相手との関係を大切にしなければならない。
仕事を休んで親戚の御見舞に行く。というのは至極まっとうな理由になる。

都市部では、ドライな人間関係で仕事は金のためと割り切れるのかもしれないが、地方もしくは別の国では違うのかもしれない。

中国人は全然残業をしない。
単に真剣さとか効率の問題だけではなく、貨幣経済に囚われている私こそが間違っているのではないかと思うようになった。

金を欲しがるのは人、払うのも人である。
人無くして仕事は成り立たない。
仕事に金は必要ではないが、人は必要である。

 

仕事とは、願いを叶えることだ。

 

交換経済では
肉が欲しい、魚が欲しい、お互いの願いを叶えることができる。

贈与経済では
挨拶や食事をすることでさえ、願いを叶える対象となる。

貨幣経済では
労働力が欲しい、金が欲しい、お互いの願いを叶えることができる。

だから、店員より客が偉いとか、社員より会社が偉いなんてことは間違っている。

根源にあるのは、願いを叶えることだ。
その点において、全て平等である。

高機能でスペックの高いパソコンだろうと、飾るだけのジュエリーだろうと、願いを叶えられるならば価値ある商品なのだ。

以前考えた答えに、幸福の最大化がある。
それは間違っていなかった。

 

仕事とは、願いを叶えることだ。

客の願い、上司の願い、部下の願い、自分の願い。
叶えられないならば、仕事など、会社など、行いの全ては無価値である。

誰かを貶めて他方を叶えたところで、それは右から左へ流しているだけ。
何も生産していない。
幸福の最大化、願いを叶えること、それこそが仕事であり。
モノづくりの「物」に代わる、生産すべき対象である。

 

自分の願いは何か、伝えること。
相手の願いは何か、読み取ること。
それを叶える能力を持ち、実行すること。

私はそうありたい。

2016年10月17日

新しい仕事

私は7月から中国で仕事をしている。

明確にやりたいことがあるわけでも、中国に拘りがあるわけでもない。
それしかできないから、それができるから、やっている。

当然だが、出来ることしかできない。
当然だが、飯を食わなければ死ぬ。
だから選択肢が少ないと思うか、それとも、条件はそれだけだから選択肢が多いと思うか。
そんなことは勝手に考えればいい。

なるようにしかならない。
それも当然だが、抗うことが必要だ。
それでも、なるようにしかならない。
綿密な計画と同時に、不可抗力を受け入れる心構えも必要だ。
それは諦めであるが、思い切って実行するきっかけでもある。
運命は避けられないが、それを利用してやればいいのだ。

話が反れた。仕事の話をしよう。

端的に言うと、私はモノづくりの世界から外れた。
モノづくりは趣味だ。仕事にする気は無い。
そうした瞬間に、世の中にはずいぶんとたくさん(モノづくり以外の)仕事があるのだなと驚いた。
これはモノづくりから外れなければ見えなかった。

仮に、私がトヨタを超える自動車を作れたとして、そんなものは売れない。
なぜなら、安全保障が無い、保険に入れない、交換部品を供給できない、補給や整備のインフラが無い、中古屋に売れない。
そういったものを全部ひっくるめて自動車なのだ。
だから、車を作ることは車屋にとってほんの一部でしかない。
それが見えていなければ車屋にはなれない。

思えばジュエリーも同じだった。
ジュエリーは人を喜ばせるもの。
それなのに、CADとかデザインとか宝石とか材料とか製造しか見ていなかった。
それでは、デザイナーにも宝石屋にもなれないのだ。
以前、本気でプレゼントを選んだとき、ジュエリーに対しての見方が大きく変わったのを覚えている。

 

次の職業は、まだ明確に決まっていない。
決めるときは、それを死ぬまで続けたい。
続けられることがプロであると思う。
仕事や生活や価値観について、ずいぶんと変わったし、まだまだ変わる。
続けられる軸、それ以外は変え続ける。

2年、中国で仕事をする。
その後、一生続ける職業に就けるように、今はあがくときだ。

2016年8月17日

100倍になったらどうなるか

何の話だったか忘れてしまったが。

データが数個なら手計算と自動計算どちらでも出来るが。
データ量が100倍になったときは、自動計算でしかできない。

だから必要なのは計算を正しく解くことではなく。
計算式を正しく作ることなのだ。

みたいな話だったと思う。

 

5人10人に教えることはできる。
だが生徒が100倍になったらどうなるか。

 

テストの採点は自動でできなければならない。
稀にいる天才やバカも100倍出てくる。

 

責任が大きくなるほどに、今していることが本当に正しいのだろうか?
という悩みが増える。

 

責任が100倍に、悩みが100倍に。
なったらどういう計算式を立てればいいだろうか。