2017年10月7日

グローバル

中国で仕事をしている。

それは凄い。という反応と、だから何なの?という反応があり。
だから何なの?という反応のほうが正しいと思う。
日本でしか働かない、日本語しか使えない、それが当たり前だと思っているのは日本人だけだ。

私は今まで海外に出たことが無く、それに劣等感を持っていた。
それを無くすために海外に出たと言ってもいい。

日本で横文字や英語を使うと、アメリカかぶれだと思っていたがそうではない。
中国語はピンインがABCだし、スタバやモスバーガーでは英語が通じる。
黒人や中東系の人も珍しくなく、もちろん中国語は通じない。
中国国内でも北京語と広東語が異なり、言葉が通じないこともある。

中国はどっぷりABCや英語が浸透していて、英語が通じないのは極東の日本のほうだ。

英語なんか要らないという意見もあるだろう。(俺もできない)
だが実際、英語は便利だ。
中国人と日本人が英語で喋るのはよくある。
中国人の英語はレベルが低く、日本人と喋るには丁度いい。
(中学校の授業で日本語使っちゃいけないゲームをしているような感じ)
それでも日本人と違うのは、下手な英語を使うことに躊躇しなことだ。
だからどんどん上達するし、2ヶ国語3ヶ国語できる人は珍しくない。

そんな環境にずっといたので、1ヶ国語しかできない人が異常じゃないかと思うようになった。

同時に、言葉など通じなくてもどうにかなるという根性が付いた。
仮に通じなくても知ったことじゃない。
私は完全に英語アレルギーを払拭した。

さて。
英語とかグローバルだとか言っているが。
そんなものはどうでもいい。
正直、グローバルなどというものに興味が無い。
ローカルなド田舎に引きこもって、外の世界にはネットで繋がればよい。
これは個人的な趣味趣向に収まらないことだと思っている。

ネットのお陰で国境というものの意味が薄くなったのではないか?

例えば、世界の裏側にデータを送るのは容易い。
中国どうのとか欧米どうのとかいうニュースが入ってきて、現地から直接情報を得ることができる。
自動翻訳で意味を知ることができる。
自動翻訳なんていい加減じゃないかと言われるが、単語単位で意味が分かれば、それを繋げてなんとなく意味が分かる。
完全で綺麗な文章でなければならないなんて思ってるのは日本人だけだ。

お固いビジネスメールでない限り、ちゃんとした文章なんて要らない。

グローバルなんてどうでもいい。
世界は既にネットで繋がっているじゃないか。
必要なのは人や場所ではなく、文化や思想である。
業務中にお祈りを優先できるだろうか。
隣人との付き合いのために休暇を取得できるだろうか。
飲み会で肉と魚を省いたレストランを用意できるだろうか。
それを容認できることがグローバルであって、住んでいる場所とか言語なんて小さなことだ。

グローバルなんて興味は無い。
日本なんて興味は無い。

国境を意識しなければならないこと自体が古い。
私はそう思う。

2017年9月16日

仕事とは何か

工場で鉄を削る。オフィスで資料を作る。

ヤスリで樹脂を作る。CADで形状を作る。

自動車を作る。ジュエリーを作る。

日本で働く、中国で働く。


内容は違えど、仕事は仕事だ。

相反するものの共通点が本質で、差異が特徴だ。


仕事とは願いを叶えること。


金や責任や手段は関係ない。

必要なことは、願いが叶うかどうかの事実だけである。

2017年9月10日

文章を書くこと

最近、文章を書けなくなっていることに気付いた。

中国にいるから日本語が下手になっているわけではない。

ブログを書いていないからだ。

 

元々、私は国語が苦手で、読書感想文を1行書くのに1週間かかる人だった。

それがブログを1,000件書いて、Twitterを5万件書いて、そこそこ文章を書けるにようになった。

定義は難しいが、例えば業務のメールを判りやすく書くなどといったことに役立っている。

しかし、最近文章を書く頻度が落ち、いざ書こうとすると非常に下手くそになっていた。

 

やはりブログは書かなければならない。

内容が無い?見る人が居ない?そんなもの元からだ。今更言うことじゃない。

 

文章を書くリハビリが必要だ。