2018年10月1日

全部を見てから

以前、マインドマップが嫌いだという話をした。
 
1つの事柄から派生と関連を繰り返し外側に広がっていく。
終わりが見えないことが嫌いだ。
 
例えば、ビルに入っている家電量販店を見るとき、まずは下から上まで全部見てから欲しい商品を買う。
イヤホンを買うとしたら、パソコンコーナーにあるかオーディオコーナーにあるか携帯コーナーにあるか判らないからだ。全部を見ないと適切に判断できないと思っている。
(迷い過ぎて失敗するのは別の話)
 
例えば、知らない商店街に行ったらまずは端から端まで歩いてみる。買い物はその後だ。
もっと良いものがあるかもしれない心残りがあると決定できない。
 
勉強をするときも、まずは教科書の目次を見る。終着点がどこなのか知っておかないと進んだ道が10%なのか50%なのか判らないからだ。
 
まず初めに全体を知る、それからどこを掘り下げるのかを決める。
だからマインドマップよりも、ツリーやリスト、マトリクスを好む。
漏れなく被りなく表層を網羅したあとに、外ではなく下に掘り下げる。
 
だから何なのかは次回。

2018年9月29日

我慢なんて無い

社会は我慢がたくさんある。

会社でも学校でも家でも。

耐えなきゃいけない我慢がたくさんある。

 

けれど、そんなものは無いんじゃないかと思う。

嫌だとか苦しいとか、大事だから今だけだからといって我慢する。

尊重だとか感謝だとか自発的であれば綺麗だが、やらされたり義務的にこなし我慢する。

その結果どうなるか。

 

我慢の代償を全て払え。全て返せ。

無意識のうちにそう思っている。

我慢したのだから、苦しかったのだから、尊重してやってのだから。

その我慢の蓄積が爆発する。

とても恐ろしいものだ。

 

我慢は我慢ではない。

償いを求めている。

我慢する側も、させる側も、代償をどうやって返すのかをよく考えたほうがいい。

なぜ中国でブログを書けなかったか

中国に3年住んでいたが、その間にブログをほとんど書かなかった。
 
ネタはたくさんあったし情報発信の価値があった。
けれどそれをしなかった。
 
なぜか。
環境のせいではない。VPNがあればGoogleブログに繋がるし、パソコンも持っていたし、文字を投稿するのに困るほど回線が遅いわけでもない。
時間もあったし、精神的に疲れていたわけでもない。
 
ではなぜなのか。
満足していたから。かもしれない。
毎日が刺激的で、わざわざアウトプットしなくても面白い日々があった。
だから書こうとするモチベーションが無かったのだろう。
では今は満足していないのか?というとそんなことは無い。たぶんやらない理由を深堀りしても何も出てこない。
 
最近私は、自分のモチベーションに浮き沈みがあることを知った。
ブログを3年も書かなかった次は毎日書き、それは1週間しか持たないといったように気分が変わる。
環境に左右されないかといえば嘘だ。
しかし目的を果たすために、ある程度はコントロールできるようにしたい。
 
もう大人なのだから。