こんばんわ。
ふょさんです。
ネットを語るうえでは欠かせない2作品。
(以下、レビューではありません)
自分の人格がデジタル化されネットに出回る。
人格が、上書き、複製される。
それは自分なのか。
自分とは何なのか。
人の体はモノである。
モノは嘘をつかない。
モノの存在は現実であるから。
しかし人格が自分でなかったら。
それは自分ではない。
ならば自分とは体ではなく人格なのか?
体が全部機械であっても?
私は以前から、人の妄想とPCのデータは同じ物だと思っている。
どちらも同じ電気信号であるからだ。
その信号を受けて、手で削るかエンドミルで削るか。
CADだろうが職人だろうが、やっていることは同じだと思う。
逆に、暗黙値はアナログなものだと思う。
アナログはコピーされない。
インストールして空手をマスターできるようにはならない。
マニュアルを読んで自転車に乗れるようにはならない。
職人の暗黙値だったり、機械の微調整だったりする。
それが無ければモノ作りは成立しない。
デジタルとアナログを間違ってはいけない。
見誤ると、職人の仕事をシステムに奪われる。
見誤ると、暗黙値を失い仕事が立ち行かなくなる。
例えば。
作業はデジタルである。
右から左に移すのはロボットアームでも出来る。
システムに置き換わるかもしれない。
暗黙値を必要としないもの。
仕事はアナログである。
良いデザイン、使いやすいシステム、接客、営業。
システムには置き換わらない。
暗黙値を必要とするもの。
先に。
人の妄想とPCのデータは同じ物だと言った。
私の妄想がデジタルで、コピーされるとしたら。
生きていることが単なる作業だというのか?
私が私であることすら作業だというのか?
そこは俯に落ちない所である。
そもそも科学など不完全なものだ。
ハエ一匹作れない科学などが、私の思いを数値化しようなど100年早いと言いたい。
100年経ったら出来てしまうのか。
そう思うと少し怖くなるが。
攻殻機動隊1話。
一番最初の台詞をご紹介。
>世の中に不満があるなら自分を変えろ。
>それが嫌なら耳と目を閉じ口をつぐんで孤独に暮らせ。
ウィンドウを閉じれば全てが隠される。
イエスマン以外を拒絶した閉じた世界。
それ以外の選択肢がある。
自分を変えればいい。
不満は消せる。
耳も目も口も閉じないでいい。
問題は外にあるのではない。
自分自身の中にあるし、それを変えることは可能である。
これ。
ネットじゃなくてデジタルの話になってしまったです。
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