2010年3月22日

架宇宙

本に書いてあった話。

 

ネットワークは架宇宙という水槽のようなものだという。
水槽から水を漏らしてはいけない。
プリントアウトは水を漏らすことで、人間がそれを読むように期待することである。

 

デジタルの水槽から水を漏らすということは、アナログにするということ。
そしてそこには慣れや暗黙知、主観や個性が現れる。

もの作りの際、最終的な物はアナログな存在である。
だが、全て自動化して人の手が加わらない状態であれば、限りなくデジタルに近い存在となるだろう。

逆にだ。

CADやCGで作品を作るということは、デジタルな事柄だが、限りなくアナログに近いのではないか。

モノ作りの最終プロセスは「売れる」ということであって。
それは完全にアナログな世界であるはずだ。

誰かの気持ち。
好き嫌い。

どれだけデジタルにしようと、それを無視することは不可能である。

デジタルは、良い意味で一部のそれを無視することができる。

仕事は大変なものである。
苦しいけれどやらなければならないことがたくさんある。

だけれど、デジタルによってその一部でも緩和されれば。
アナログの良い部分だけを人がやれば。

人は幸せになれるのではないか。

 

私の専攻は「機械」だった。

 

なぜ機械なのか。
それは子供のころ、運動会の行進が堪らなく嫌だったからだ。
そんなものは機械にやらせればいい。
(貧血のふりをして休んだ)

鉄腕アトムやドラえもんが開発されれば、この苦痛は無くなるのだろうと。
子供心ながらに思っていた。

だが今はどうだ。
機械のために人間が働いているではないか。

人は機械の奴隷ではない。
CADや自動車のために、プライベートを潰して働くなど馬鹿げている。

そんなことだから「車など動けばいい」といった思考に行ってしまうのだ。
現に私にとって、自動車は移動手段でしかない。

 

傲慢かもしれないが。
人が幸せになるために全ては存在する。

これだけ技術が進んでも、まだ満たされない。
それは、技術が効率のために使われているからだ。

CADを効率のために使ってはいけない。

 

あの本の趣旨とはずいぶんと離れてしまうが。

私はこう思う。

架宇宙の中に、人の苦しみを封じ込めてしまえばいい。

機械の役割は、効率化でも品質向上でもない。

デジタルとは。

その技術で人の痛みを和らげることにある。

 

例えば、携帯電話で恋人と毎日メールができたり。
ブログを通じて人と知り合ったりできるように。

モノ作りにおいてのデジタルも。
きっとそうなってくれるだろう。

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