本に書いてあった話。
ネットワークは架宇宙という水槽のようなものだという。
水槽から水を漏らしてはいけない。
プリントアウトは水を漏らすことで、人間がそれを読むように期待することである。
デジタルの水槽から水を漏らすということは、アナログにするということ。
そしてそこには慣れや暗黙知、主観や個性が現れる。
もの作りの際、最終的な物はアナログな存在である。
だが、全て自動化して人の手が加わらない状態であれば、限りなくデジタルに近い存在となるだろう。
逆にだ。
CADやCGで作品を作るということは、デジタルな事柄だが、限りなくアナログに近いのではないか。
モノ作りの最終プロセスは「売れる」ということであって。
それは完全にアナログな世界であるはずだ。
誰かの気持ち。
好き嫌い。
どれだけデジタルにしようと、それを無視することは不可能である。
デジタルは、良い意味で一部のそれを無視することができる。
仕事は大変なものである。
苦しいけれどやらなければならないことがたくさんある。
だけれど、デジタルによってその一部でも緩和されれば。
アナログの良い部分だけを人がやれば。
人は幸せになれるのではないか。
私の専攻は「機械」だった。
なぜ機械なのか。
それは子供のころ、運動会の行進が堪らなく嫌だったからだ。
そんなものは機械にやらせればいい。
(貧血のふりをして休んだ)
鉄腕アトムやドラえもんが開発されれば、この苦痛は無くなるのだろうと。
子供心ながらに思っていた。
だが今はどうだ。
機械のために人間が働いているではないか。
人は機械の奴隷ではない。
CADや自動車のために、プライベートを潰して働くなど馬鹿げている。
そんなことだから「車など動けばいい」といった思考に行ってしまうのだ。
現に私にとって、自動車は移動手段でしかない。
傲慢かもしれないが。
人が幸せになるために全ては存在する。
これだけ技術が進んでも、まだ満たされない。
それは、技術が効率のために使われているからだ。
CADを効率のために使ってはいけない。
あの本の趣旨とはずいぶんと離れてしまうが。
私はこう思う。
架宇宙の中に、人の苦しみを封じ込めてしまえばいい。
機械の役割は、効率化でも品質向上でもない。
デジタルとは。
その技術で人の痛みを和らげることにある。
例えば、携帯電話で恋人と毎日メールができたり。
ブログを通じて人と知り合ったりできるように。
モノ作りにおいてのデジタルも。
きっとそうなってくれるだろう。
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