自分で言ったことを。
自分で痛感している。
「知る」と「判る」は違う。
「できる」と「やった」は違う。
どんなに考えても行動しなければ無意味。
モノは嘘をつかない。
暗黙知や慣れを無視して良いモノ作りはできない。
知ることは、ある程度できたと思う。
毎日Twitterで情報が入ってくる。
書籍も読んでいる。
そういう位置に行くことができた。
けれど、判っていない。
やっていない。
理屈などもはやどうでもいい。
今、手元に無数のパテの残骸が転がっている。
完成品は無い。
何時間もやり続け、何度もやり方を変え。
それでも足りない。
納得するまで終わらない。
単純に足りない。
ほんの数十時間で得られるものではない。
学生時代に、ワックスポッドの前で丸一日過ごしたことがある。
自分で切ったゴム型は扱いが難しかった。
圧力、ゴム型の押さえ方、メスの入れ方、冷やす時間。
たった1日かと笑われるだろう。
その通り、全く足りていない。
また同じ状況になれば、同じことをするだろう。
経験して理解して、それを元に原型制作や製造を行う。
それがデザインであり、設計である。
気を抜いたり、手を抜いたり、焦ったり、諦めたり。
全てモノに反映される。
作る時だけじゃない。
それを考えている全ての時間。
自分自身とそれに関わること全て。
どんなに正確な計算をしても。
思い通りになるのは頭の中だけ。
モノ作りとは奥が深い。
故に楽しい。
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