2013年5月10日

出来損ない

高品質低価格は価値ではない。
私にはセンスが無いし、美しいものを目指そうと思っていない。
だから高品質ができるわけがないし、作ろうとも思わない。

iPhoneは美しいが、あれは完成品ではない。
アプリを自分で入れなくてはいけない。
形状もシンプルで、好きなケースで飾ることができる。
ハードもソフトも、手を加える余地を残す。
(iTunesが激しく重いのはどうにかならんのか)

Androidは持っていないので勝手なイメージだが、アプリに承認が要らないので自由な感じがする。
それはそれで需要があるだろうけど、自由や低価格が良いのであればWindowsではなくLinuxを使うはず。
経験はしたいが、苦労はしたくない。

ゲームの主人公が無敵で簡単にボスを倒せてしまったら面白くない。
反対に、ザコ敵に全然勝てないのも面白くない。
高い技術を用いた美しいグラフィックは素晴らしいが、ドットのマリオやテトリスを選ぶ人もたくさん居る。
21世紀なのに地道に獣を狩ったりキノコを育てるゲームが流行る。
高品質低価格は見るべきではなく、適度な不便で経験を作り、幸福を目指すべきだ。

完成していることが必ずしも良いことではない。
それが努力の結果なら作り手の経験になるだろうが、イヤイヤやった苦労の結果の完成では、残念ながら報われないだろう。

私は苦労をしたくない。完成という結果も求めない。
出来損ないでも不便でも、そこに面白い経験があるのなら。
喜んで努力しよう。

高品質低価格に代わる、別の価値を目指す努力をしなければならない。

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