店に商品が並んでいる。
それを手に取って、金を払う。
値段相応か、それ以上の価値があると思ったからだ。
商品の価値は何だ?
私達は仕事をしている。
仕事をして給料を得ている。
労働という商品を売って、金を貰う。
何をすれば給料が上がって、何をすれば下がるのか。
商品の価値は何だ?
商品の価値が判らないということは、自分が何をしているのか判っていない。
社畜であり給料泥棒。
明日にでも首が飛んでも文句は言えない。
商品の価値とは、関わる人間の幸福の合計である。
作る人、運ぶ人、売る人、使う人、捨てる人。
関わる人間の幸福の合計こそ、商品の価値である。
高品質低価格でも、作る人が不当な扱いを受けていたら、そんな商品はゴミである。
休日出勤をして家族と遊べなかったら、価値は下がる。
工場のアルバイトが苦しかったら、価値は下がる。
トラックの運転手が苦しかったら、価値は下がる。
そんな苦しみを良しとして、給料を払うなど愚行である。
そんな商品を良しとして、金を払うなど愚行である。
そんな世界は狂っている!
前工程を急かせるな。後工程を待たせるな。
そして我々が苦しんではならない。
なぜならそれは、お客様の商品に泥を塗る行為であるからだ。
高品質低価格などクソ食らえ。
良いものを安く。そんなものは作り手に対する冒涜である。
パソコンはただの箱。車もケータイも道具に過ぎない。
それを使って幸福を得ることが目的であり、そこに金が払われるべきだ。
と、そこまでは誰でも思っている。
だが!
労働者が休日出勤をしたら、幸福が失われることに気付いていない。
それは手段の先にある目的、全人類が望んだそれを、切り捨てているのだ。
店員と客、作り手と使い手は同一人物である。
作る人、運ぶ人、売る人、使う人、捨てる人。
誰かを切り捨てるのならば、そんな商品はゴミである。
客のために店員が犠牲になってはならない。
使い手のために作り手が犠牲になってはならない。
そんなことをしているなら焚き火を囲んで踊ったほうがマシだ。原始人のほうがマシだ。
縄文時代から進歩していない。
そんな商品はゴミである。
今日、あなたは何をした?
幸福を増やせたか?
幸福を増やす行為に対して、金や感謝を支払ったか?
私は世界の在り方を変えたい。
モノづくりや製造業だけの話ではない。
産業の在り方、私達個人の生活の在り方だ。
もし出来るのならば、それは。
革命だ。
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