2015年6月19日

商品の価値とは何か

店に商品が並んでいる。
それを手に取って、金を払う。
値段相応か、それ以上の価値があると思ったからだ。
商品の価値は何だ?

 

私達は仕事をしている。
仕事をして給料を得ている。
労働という商品を売って、金を貰う。
何をすれば給料が上がって、何をすれば下がるのか。
商品の価値は何だ?

 

商品の価値が判らないということは、自分が何をしているのか判っていない。
社畜であり給料泥棒。
明日にでも首が飛んでも文句は言えない。

 

商品の価値とは、関わる人間の幸福の合計である。

 

作る人、運ぶ人、売る人、使う人、捨てる人。
関わる人間の幸福の合計こそ、商品の価値である。

 

高品質低価格でも、作る人が不当な扱いを受けていたら、そんな商品はゴミである。

 

休日出勤をして家族と遊べなかったら、価値は下がる。
工場のアルバイトが苦しかったら、価値は下がる。
トラックの運転手が苦しかったら、価値は下がる。

 

そんな苦しみを良しとして、給料を払うなど愚行である。
そんな商品を良しとして、金を払うなど愚行である。
そんな世界は狂っている!

 

前工程を急かせるな。後工程を待たせるな。
そして我々が苦しんではならない。
なぜならそれは、お客様の商品に泥を塗る行為であるからだ。

 

高品質低価格などクソ食らえ。
良いものを安く。そんなものは作り手に対する冒涜である。

 

パソコンはただの箱。車もケータイも道具に過ぎない。
それを使って幸福を得ることが目的であり、そこに金が払われるべきだ。
と、そこまでは誰でも思っている。

だが!

労働者が休日出勤をしたら、幸福が失われることに気付いていない。
それは手段の先にある目的、全人類が望んだそれを、切り捨てているのだ。

店員と客、作り手と使い手は同一人物である。
作る人、運ぶ人、売る人、使う人、捨てる人。
誰かを切り捨てるのならば、そんな商品はゴミである。

 

客のために店員が犠牲になってはならない。
使い手のために作り手が犠牲になってはならない。

 

そんなことをしているなら焚き火を囲んで踊ったほうがマシだ。原始人のほうがマシだ。
縄文時代から進歩していない。
そんな商品はゴミである。

 

今日、あなたは何をした?
幸福を増やせたか?
幸福を増やす行為に対して、金や感謝を支払ったか?

 

私は世界の在り方を変えたい。
モノづくりや製造業だけの話ではない。
産業の在り方、私達個人の生活の在り方だ。

 

もし出来るのならば、それは。

 

革命だ。

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