しばらく考えたが、やはり変わらなかった。
自分なりに考えたことを記しておく。
自動車は、移動や運搬のためにあるのか?
パソコンは、情報処理のためにあるのか?
携帯電話は、電話のためにあるのか?
もしそうならば、もうそれは達成されていて、これ以上は要らないということになる。
違う、そうじゃない。
自動車もパソコンも携帯電話も幸福のためにある。
モノづくりはそれを忘れている。
品質、価格、物量、速度、効率、これらは道具に過ぎない。
そんなものをゴールに定めてはならない。
例えば、フェラーリを1000円で買える世界になったとする。
フェラーリを作る人はそれだけの給料しか貰えない。
そんな世界が嬉しいだろうか。
そんな世界を目指したいと思うだろうか。
作る人間と買う人間は同一人物である。
商品の価値とは、それに関わる全ての人間の幸福の合計である。
良い車、良いパソコン、良い携帯電話。
それが何なのか、答えは出ただろう。
品質、価格、物量、速度、効率などではない。
関わる全ての人間の幸福を最大化することこそ。
その商品の存在価値である。
よろしいか。
社員に休日出勤をさせているあなたは、お客様の商品をボコボコに破壊していることに気付け。
そんなものはモノづくりでも製造業でもなく、単なる破壊である。
私は思うのだ。
1990年代、ジャパンアズナンバーワンと言って、アメリカは飛行機と自動車以外の製造業を辞めてしまったそうだ。
だがそれで休日にペンキ塗りをしているアメリカのお父さんは、報われないと知りながら嫌々品質を追い求めている日本のサラリーマンより幸福なのではないか?
今ならまだ間に合う!とかいう気もしていたが、今はそう思わない。
今の路線で進むのなら、辞めてしまったほうがマシではないのか。
インダストリー4.0とかいうのも、その先の幸福が語られていないので。
過去の延長でしかなく、先細りだと思っている。
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