2022年4月23日

自分の気分は自分の責任(表現の自由)

某イラストや広告が、あーだーこーだと騒がれている。
某発言が、問題だとして炎上や謝罪に至っている。
 
私は、これらは同種の事象だと思う。
端的に言えば、目と耳を塞ぐのは自分でやれ。
 
世の中には不愉快な事象はたくさんある。
コロナだってロシアの戦争だって不愉快である。
怪しいネット記事、テレビ番組、雑誌に載った都市伝説。
TwitterやFacebookの広告。
アダルトだったり、スマホの画面を埋めてしまうような広告。
全て不愉快である。
 
しかし、それらを見るのは自分の意思である。
テレビを捨てればいい、雑誌を買わなければいい、見るサイトを選べばいい。
目と耳を塞ぐのは容易である。
 
私は中国語が判らないまま中国に行った。
そうすると、意思疎通をするのにかなり頑張る必要がある。
電車のアナウンスも宣伝広告も、全く理解できない。
だから煩いとも不愉快だとも思わなかった。
 
そこで気付いたことがある。
受信した情報を解釈しているのは自分なのだ。
 
世の中にある不愉快な出来事も、誰かの不適切な発言も。
それを日本語として受け取り、解釈しているのは受信側である。
 
日本語が判らない相手に意思を伝えるのが難しいように。
発信者側がコントロールできるものではない。
 
物事を受け取り、解釈し、気分を左右しているのは受信者側である。
自分の気分は自分の責任である。
 
だとすれば、誰が何を発信しようと問題ではない。
差別的な発言や誹謗中傷も、極論、問題ではない。
それは、受け取る側、受信者側、自分の責任である。
 
自分の発言は自分に返る。
だから、差別や誹謗中傷で傷付くのは自分である。
「誹謗中傷をした自分」という事実が自分に返ってくる。
他人には届かない。
受信者側がどのように受け取るかは受信者側が勝手に判断することで。
発信者には関係の無い話である。
 
なぜ、私とあなたに関係があると思ってしまうのか。
それがそもそもの誤りである。
 
何を発信するかは発信者の勝手であり。
何を受信するかは受信者の勝手であり。
双方に関係は無いのだ。
 
表現は自由である。
自分の気分は自分の責任である。

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