2010年11月3日

ネットの世界は

多様性の世界か。
イエスマンの狭い世界か。

 

いろんな人と繋がれる。
アンチとも繋がれる。

 

文句や批判を。
誹謗や中傷を。

アドバイスとして受け取れるか。
それはとても重要なことで。
言ってるほうも文句を言っているのかアドバイスをしているのか。
人によって基準が違う。

 

ブログ書いてる。って知られたくない人もいて。
言ってしまうと人間関係が壊れる。
(それで2回壊した)

ニコニコ動画で批判をする人。
そういう人は名人様って言われて嫌われる。

 

嫌いなら見るな。
批判するなら来るな。

 

だけどそれは。
どうなんだろう。

多様性の容認を拒否しているのはどちらだろう。

 

俺はイエスマンを求めていて。
批判されるのは嫌。
アドバイスありがとうなんて口で言ってても。
その回限りで辞めてしまおうと思う。

 

何がいいことで。
何が悪いことなのか。

そんなことは判らない。
だから多様性で。
いろいろが混在するのがいいこと。

 

検索。ってさ。
フィルターだよね?
その情報だけを抽出する。
じゃあ中国の情報統制とは違うもの?

 

欲しい情報を得る。
欲しくない情報は見ない。
それはどうなんだろう。

 

容認や拒絶を繰り返していきたいか。
都合の良い理想郷を築きたいか。

 

前者は多様性の世界。
後者はイエスマンだけの狭い村社会。

 

狭い村社会ってどっかの宗教団体みたいになるわけで。
そんな結果は求めてないんだけど。

 

それでも傷つけ合って成長して結果オーライだなんて言えない。

何があっても傷つくのがいいことだなんて思えない。

 

俺は間違っているだろうか。

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