モノづくりの本質は「モノ」ではない。
「づくり」である。
作られた物体ではなく作るという行為が喜びとなり。
喜びに価値がある。
ディズニーランドで魔法の杖を振って携帯電話を作る。
つまり、製造する労働はお金を払って行うものになる。
具体的なものをあげるとニコニコ動画。
動画を作るという労力は、賃金を貰って行うのではない。
むしろ払って行う。
ウィキペディアも同じ。
それは他人にコピーされ改造され、またアップロードされる。
品質は問題ではない。
画質はYouTube程度で十分である。
多少の誤字や雑音があってもいい。
それは5万程度の安いノートパソコンと同じ。
必要以上の品質を作ろうとする日本のメーカーではなく。
台湾あたりのメーカーが席巻してしまった。
ニコニコ動画において素人が作る動画でも品質は十分だ。
その環境はテクノロジーによって実現される。
単純に時間の問題。
簡単に選ぶだけの人。
ゼロから作りたい人。
何でも自由にしたい人。
制約下でしたい人。
そのレベルは選択できるようになるだろう。
例えば、モンハン(PSPのゲーム)は3Dデータだ。
ユーザーは、武器や鎧を選んで装備する。
武器はこれ、鎧はこれ、男か女か。
それをリストにして会社に送る(テキストデータ)
3Dデータは開発者が持っているから3Dプリンターで出力ができる。
自分のアバターのフィギュアが買えるわけだ。
(私の妄想で、実際には行われていません)
ゲームと製造業は一緒になれる。
そのテクノロジーは完成している。
超高級なチョコと、彼女の手作りチョコ。
どちらが欲しいか。
それは品質も価格も超越している。
価格は限りなくゼロ。
品質は無限大。
フリーペーパーなど貰ってもゴミが増えるから要らない。
こんな状態ではモノに価値があるなどと言うことはできない。
逆にコミケ(アニメなどの二次作品を販売できるイベント)では、大金を払って本を作って売る素人の人達がいる。
(売れるかも判らない趣味においては数万でも大金だ)
それでもいい。
そこにお金を払う。
本田宗一郎のバイクいじりは、お金のために嫌々やっていたわけではないだろう。
自分が考えた携帯電話が欲しい。
チョコを作って恋人に食べてもらおう。
それができる環境ができあがる。
今日の自分の仕事。
何に価値があって何に賃金が払われたのか。
明日。
何を提供して賃金を得るのか。
今、これから、何に価値がある世界になるのか。
そのために何を学ぶべきだろうか。
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