2011年2月12日

未来の製造業

モノづくりの本質は「モノ」ではない。
「づくり」である。

 

作られた物体ではなく作るという行為が喜びとなり。
喜びに価値がある。

 

ディズニーランドで魔法の杖を振って携帯電話を作る。
つまり、製造する労働はお金を払って行うものになる。

具体的なものをあげるとニコニコ動画。
動画を作るという労力は、賃金を貰って行うのではない。
むしろ払って行う。
ウィキペディアも同じ。
それは他人にコピーされ改造され、またアップロードされる。

 

品質は問題ではない。
画質はYouTube程度で十分である。
多少の誤字や雑音があってもいい。

それは5万程度の安いノートパソコンと同じ。
必要以上の品質を作ろうとする日本のメーカーではなく。
台湾あたりのメーカーが席巻してしまった。

ニコニコ動画において素人が作る動画でも品質は十分だ。

 

その環境はテクノロジーによって実現される。
単純に時間の問題。

 

簡単に選ぶだけの人。
ゼロから作りたい人。
何でも自由にしたい人。
制約下でしたい人。
そのレベルは選択できるようになるだろう。

 

例えば、モンハン(PSPのゲーム)は3Dデータだ。
ユーザーは、武器や鎧を選んで装備する。
武器はこれ、鎧はこれ、男か女か。
それをリストにして会社に送る(テキストデータ)
3Dデータは開発者が持っているから3Dプリンターで出力ができる。
自分のアバターのフィギュアが買えるわけだ。
(私の妄想で、実際には行われていません)
ゲームと製造業は一緒になれる。
そのテクノロジーは完成している。

 

超高級なチョコと、彼女の手作りチョコ。
どちらが欲しいか。
それは品質も価格も超越している。

 

価格は限りなくゼロ。
品質は無限大。

フリーペーパーなど貰ってもゴミが増えるから要らない。
こんな状態ではモノに価値があるなどと言うことはできない。

 

逆にコミケ(アニメなどの二次作品を販売できるイベント)では、大金を払って本を作って売る素人の人達がいる。
(売れるかも判らない趣味においては数万でも大金だ)
それでもいい。
そこにお金を払う。

本田宗一郎のバイクいじりは、お金のために嫌々やっていたわけではないだろう。

 

自分が考えた携帯電話が欲しい。
チョコを作って恋人に食べてもらおう。
それができる環境ができあがる。

 

今日の自分の仕事。
何に価値があって何に賃金が払われたのか。

明日。
何を提供して賃金を得るのか。

 

今、これから、何に価値がある世界になるのか。
そのために何を学ぶべきだろうか。

0 件のコメント: