2013年5月20日

モノづくりの道

モノづくりは作り。
結果ではなく過程、経験。
道のり、道。

剣道、柔道、茶道、書道。
小さな子供でもできるが、果てしなく奥が深い。
道具とマニュアルを渡されてハイできました。なんてことは無い。

3Dプリンタとデータがあれば物が作れるなんて大嘘だし。
楽器と楽譜があれば演奏家が要らないなんてことは無い。

私が求めていたのはこれだ。
モノづくりは道だったのだ。

初心者でもベテランでも、完成品がどんなものだとしても。
それは道の一部であるから、全て繋がっていて切り捨てることはできず、上下や優劣というものは無い。

書道の筆や茶道の器は高価なものがあるけれど、100円ショップで買ってきても道の本質が失われることは無いはずだ。

パソコンで印刷した文字や、ペットボトルの茶ならば、価格も利便性も優れている。
高品質低価格、簡単に便利に結果だけを得ることはできるだろう。
けれども、そこから道を感じることはできない。

子供の頃、書道をやった。柔道をやった。
あれは単に、文字を書くとか体を鍛えるという意味ではなかったのだ。
鉢植えでヒヤシンスを育てることは数字の上で何の意味も無いが、そこには別の気づかなければならない何かが存在したのだ。

”日本刀の鞘や鍔に豪華な装飾が施されていても、刀身に比べれば玩具に等しい。刀鍛冶は、霊感を授かった芸術家であり、魂と精神を鉄鋼に打ち込んでいる。”(意訳)
 

茶や書や華、身近で簡単で限りなくシンプルなそれは。
果てしなく深い道だ。

モノづくりもそれと同じく、道だったのだ。

ミケランジェロの彫刻や仏像のような究極の造形、モノに付喪神を宿すといったことは、この道の中にあるに違いない。

品質、価格、物量、効率、スピード。
簡単で便利に結果だけ手に入れても、幸福にはなれなかった。
全部辞めて、南の島で魚を釣っていたほうがマシだ。

道を失ってはいけない。忘れてはいけない。

価値や幸福を体現するのは、道だ。

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