2014年7月7日

金と時間と

数年前から、買い物をするときに値段をあまり見なくなった。
欲しいものは高くても買い、そうでないものは安くても買わない。
値段から学べることも多いけれど、作り手として安さに釣られるべきではないと思ったからだ。

年末に鎌倉に行ってきた。
金に糸目を付けないのがコンセプトだったのだが。
結局、言うほど楽しむことができなかった。

一時期は仕事が忙しかったが、最近はそうでもない。
金も時間もある。

たぶん、それは違うのだ。
それは、本当に求めるべきものではなかったのだ。
そんなことを言うと、一生懸命働いている人に怒られてしまうかもしれないが。
いいや、だからこそ言いたいと思う。

私は、ワーカーホリックとまでは行かなくとも、仕事が大好きである。
仕事の報酬は仕事だと本気で思っているし。
たとえサービス残業だとしても、嫌だとは思わない。
(勤務先が誤解されると困るので、それは無いと言っておく)
なぜならば、私には他に何も無いからだ。

家族、兄弟、友達、恋人。
私は、それを大切にしなかった。
そのための労力を払わなかった。

失う覚悟の無いものは、何も得ることはできない。
言葉の通りだ。
仕事が忙しいのを言い訳にして、それ以外のものを得ようと努力しなかった。
残業をして頑張っているつもりになり、本当はサボっていたのだ。
残業は悪とか千円札を拾うなとか、正直あまり理解できなかった。
けれど今は、少し思うところがある。

 

価値とは何か。
働いて得るもの、会社に提供するもの。
客として得るもの、店に支払うもの。
家族や恋人と過ごす時間、自由や休息や娯楽。
それ全部が価値だ。
金や労働や人は、価値を入れるための器だ。

だから、単に働けばいいとか金があればいいとかいう問題ではない。
その本質である価値を見なければならない。
そうでなければ、頑張っているはずなのに幸福から遠ざかってしまう。
価値はイコール幸福であり、それを理解し具体化して日常の行動に落とし込まなければならない。
ワーカーホリック、社畜、ワーキングプア、それらは価値を見ようとしなかった結果なのだ。

業務命令に従って残業をするのもいいだろう、逆らって首を飛ばされるのもいいだろう。
それらは器、手段に過ぎず、本当に見るべきは価値なのだ。

 

金も時間も手に入れた。物理的な豊かさは最高だろう。
何でもある。何でも手に入る。むしろ、物なんか無いほうがいい。
高価な道具やソフト、教科書を買った。
モノづくりができる金も時間もある。
だが、、、だが、楽しくない。
そんなものは求めるべき価値ではなかったのだ。

価値とは何か。
価値とは幸福である。
医者になるために医者の勉強が要るように、幸福になるためには幸福の勉強が要る。
それを理解し、相応に支払わなければならない。
失う覚悟のないものは、何も得ることはできない。
それはつまり、努力は報われるという意味だ。

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