2014年6月28日

仕事の報酬は仕事

労働力の再生産が本当だとしたら。
給料は本人の能力とは関係ない。
頑張っても給料は上がらない。

では、何のために頑張るのか。
何のための能力で、何のために努力するのか。

給料以上に働いた、余剰価値が会社の利益。
会社の利益が上がっても、個人の給料は増えない。
では、そこで個人は何を得るのか。

 

仕事の報酬は仕事。

仕事は本来、自分で作るものだ。
起業したり自営業であれば、企画を練ってチラシを撒いて受注をして。
そこからようやく仕事が始まる。
仕事を作る部分には、一切の給料が出ない。

 

サラリーマンも同じではないか。

給料は一定。頑張っても増えない。
それでも努力しなければならない理由は、仕事を作るため。
雇われ続けるため、首が飛ばないために努力する。
だが、首を飛ばす権限は企業に依存している。
だから、「首が飛んだら困る」人間は、際限なく余剰価値を求められる。
給料は一定、苦労は無限。すなわち、ワーキングプアになる。

 

まず、給料を得るために努力する必要は一切無い。
雇われ続けること、次の仕事を作ることに努力すべきなのだ。

そして「首が飛んだら困る」ではなく、「首が飛んでも大丈夫」な状態を作り出す必要がある。

 

どれだけの仕事が欲しいか。
仕事をたくさん得ても上がるのは余剰価値、すなわち会社の利益であり。
個人の給料は変わらないのだから、得すぎてはいけない。
逆に少なすぎると首が飛ぶから、少なくてもいけない。
欲しいだけの仕事を得られるように、調整するべきなのだ。

 

どこで聞いたかは忘れたが。
日本だと、自分の仕事が終わっても早く帰ることはせず、他人が忙しければ手伝う。
だが、海外(海外ってどこだよ)では、「担当以外に手を出すな。人の仕事を奪うな。」ということになるらしい。

多くも少なくもなく、適度な仕事を得る。そのために努力をしている。
うまく調整しているのだから、他人に手を出されると困る。のかもしれない。

 

苦労を辞めて、努力をしろ。
それでも結果が出ないのは、努力する方向を間違えている。
西に行きたいのに、東に進んではいけない。

過去、地球上に生まれてきた全ての人間が願ったであろう。
幸福とは何か。
それはどうやったら得られるのだろうか。

0 件のコメント: