労働力の再生産が本当だとしたら。
給料は本人の能力とは関係ない。
頑張っても給料は上がらない。
では、何のために頑張るのか。
何のための能力で、何のために努力するのか。
給料以上に働いた、余剰価値が会社の利益。
会社の利益が上がっても、個人の給料は増えない。
では、そこで個人は何を得るのか。
仕事の報酬は仕事。
仕事は本来、自分で作るものだ。
起業したり自営業であれば、企画を練ってチラシを撒いて受注をして。
そこからようやく仕事が始まる。
仕事を作る部分には、一切の給料が出ない。
サラリーマンも同じではないか。
給料は一定。頑張っても増えない。
それでも努力しなければならない理由は、仕事を作るため。
雇われ続けるため、首が飛ばないために努力する。
だが、首を飛ばす権限は企業に依存している。
だから、「首が飛んだら困る」人間は、際限なく余剰価値を求められる。
給料は一定、苦労は無限。すなわち、ワーキングプアになる。
まず、給料を得るために努力する必要は一切無い。
雇われ続けること、次の仕事を作ることに努力すべきなのだ。
そして「首が飛んだら困る」ではなく、「首が飛んでも大丈夫」な状態を作り出す必要がある。
どれだけの仕事が欲しいか。
仕事をたくさん得ても上がるのは余剰価値、すなわち会社の利益であり。
個人の給料は変わらないのだから、得すぎてはいけない。
逆に少なすぎると首が飛ぶから、少なくてもいけない。
欲しいだけの仕事を得られるように、調整するべきなのだ。
どこで聞いたかは忘れたが。
日本だと、自分の仕事が終わっても早く帰ることはせず、他人が忙しければ手伝う。
だが、海外(海外ってどこだよ)では、「担当以外に手を出すな。人の仕事を奪うな。」ということになるらしい。
多くも少なくもなく、適度な仕事を得る。そのために努力をしている。
うまく調整しているのだから、他人に手を出されると困る。のかもしれない。
苦労を辞めて、努力をしろ。
それでも結果が出ないのは、努力する方向を間違えている。
西に行きたいのに、東に進んではいけない。
過去、地球上に生まれてきた全ての人間が願ったであろう。
幸福とは何か。
それはどうやったら得られるのだろうか。
0 件のコメント:
コメントを投稿