2014年8月11日

夏休み3日目

何でもかんでも教えて教えてと言って。
与えてもらうのが当然と思っている輩をクレクレ君と言い、悪口として使う。

逆に、教えてあげるのが好きで、少しウザいくらいに語りまくるのを教え魔といい。
こちらは自虐で使うのだが、さほど悪い意味ではない。

訊きもしないし教えもしないのは、ネットを見ない人なのだが。
ネットを見る人でも、ほとんどが訊かないし教えない人だ。
ROMる。(Read Only Memory)読み取り専用という意味で、情報を拾うだけの人だ。

なぜこんな話をするかというと。
先日のモータの例は、私が情報を出さなかったことにより数々の問題を誘発してしまったので、その反省だ。

 

情報を発信することは重要だ。
先日のモータの例のように、情報を発信することで問題が解決することは多々ある。
ガチの仕事では当然だが、訊くのを躊躇って溜め込んでいると、悪化するだけだ。
訊く側も教える側も、恥ずかしかったり怒られたりすることもあるのだが。
一般的な人間関係と寸分違わず、それは間違いなく血肉となる。
ROMっている人にとっても貴重な情報になるのだから、どんどん発信すべきだ。

情報を発信するとどうなるか。
情報を発信するところには情報が集まる。
アウトプットが多いほどに、インプットが多くなる。
アウトプットできるレベルに達すると、劇的にインプットも増える。

 

しかし、人から聞いたコピペではアウトプットにはならない。
部屋に篭って研究したり、遠方に足を運んだり、泥臭い行いなのだが、それこそアウトプットの元である。
それが無ければアウトプットすることはできず、教えを乞うだけではクレクレ君になってしまう。

ハードディスクに入るものは覚えなくてよい。
Wikipediaにあるものは知らなくてよい。
Excelでできる計算はできなくてよい。
私達がすべきことは他にある。

アウトプットになり得るもの。
今現在、ネット上に無いもの。
手を動かせ、足を運べ、その体験はアウトプットになる。
イベントに参加したとか、どこそこの料理が美味かったとか、何月何日の夕焼けが綺麗だったとか。
些細なことでも、コピペではない体験はアウトプットになり得る。
それこそが、するべきこと。

 

シェアというのは、正直よく判らない。
体験が価値だというのも、やっぱりよく判らない。
だけれども、アウトプットになるかどうかを考えれば。
例えば、テレビ番組のように人を惹きつけるコンテンツとなり得るのならば。
お金。になっても不思議ではない。
汚い話かもしれないが、それで飯を食っている人がいるならば、価値を生んでいるに違いない。

アフェなんちゃらを真面目にやるつもりは無いし、アウトプット自体が目的ではないが。
(登録してるけど年間500円行かない)
価値とは何か?その解として、アウトプットになるかどうかは重要なポイントではないだろうか。

 

話が少し逸れるが、ネット上の人は大半がパソコンを使っている。
当然じゃないかと思うかもしれないが、あまり言われない。
パソコンを使っている、パソコンに詳しい人が多い。
プログラムとかネットワークとか、グラフィックとかソフトウェアとか、デジタル的なお仕事をしている人が大勢いる。
だから、需要は多いが供給も多い。
そういうアウトプットは、あまりレアではない。
逆に、金属加工とか家庭菜園のようなアナログな話のほうがレアで、職人の技みたいな泥臭い話のほうが面白がってもらえる。
だから何ということはないのだが、偶然にも私はそういうのが好きだから。
そういうアナログな体験を、もっとアウトプットしてきたいと思う。

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