2014年9月14日

マニュアル人間は良いことなのか?

かなり昔で、どこで見たのかも忘れてしまったが、こんな記事があった。

仕事は、上の命令に従うこと。
自分で考えないとか、応用力が無いとか、そういう話だったような気がする。

命令に従う、マニュアル人間。
クリエイティブではなく、画一的な機械人形。

自分で考えて、応用して、作り出す。
素晴らしい自由。
そちらのほうが良いと思うだろうか。

さて、あなたはどう思うだろうか。

 

私は、命令に従う機械人形のほうが良いと思っている。

例えば、仕事で失敗をしたとする。
謝罪と、原因究明と、対策を求められる。
では、その失敗は、過去に一度も起こらなかったのだろうか。
新規プロジェクトならあり得るが、既存の事業ならばそうではない。
個人では初めての体験でも、組織としては初めてではない。
同じ失敗を繰り返す組織は、成長していない。

失敗を元に、対策が立てられマニュアルに盛り込まれる。
マニュアルを順守することで、失敗は回避される。
過去の積み重ねを引き継ぐことで、組織は成長する。
成長すべきは個人ではなく組織だ。

マニュアルや上の命令に従うこと。
それこそが仕事である。
そんなバカなと思うか?

仕事では結果を出さなければならない。
給料以上に会社の利益を出せなければ、雇用し続ける価値は無い。
結果を出すには2つの方法がある。

1つ目は、結果が出るまでやり続けること。
優秀な頭脳を用意するか、サービス残業をやり続けるかだ。

2つ目は、結果が出る方法でやることだ。
方法を知っている人を探しだし、殴ってでもやり方を吐かせる。
そして、その方法に従うことだ。

素人がいくら考えたって、ロクな答えは出ない。
下手な考え休むに似たり。
時給で雇われていたり、早く帰りたいのなら、考えないほうが良いのだ。
アミバ流北斗神拳は最強ではない。

自分で考えるとは、優秀な頭脳を持った人間のやることだ。
リスクや責任や覚悟を背負い、反対する人間を押し切ることだ。
覚悟が無いのなら、その思考は遊びであって仕事ではない。

趣味で判らないことはネットで調べればよいが、職場で何時間もネットに浸っているわけにはいかない。
さっさと知っている人に訊け。
訊けるのは初心者の特権だとか、質問の仕方も技術だとか。
それ系の本にはたくさん載っている。

 

もちろん、考えることは必要だ。
自ら考え、提案し、現状に甘えることなく改善し続ける。
過去の常識や枠組みに囚われず、詰まらない事情をぶっ飛ばしてイノベーションを起こす。
素晴らしいことだ。
だがそれは、優秀な頭脳を持った人間のやることだ。
あなたは、その優秀な人間なのか?

例えば、それが評価される世界だとしたら。
優秀な頭脳を持ち、革新的な結果をもたらせる人間以外。
全員の首が飛ぶということだ。

マニュアルや命令に従うというのは、優秀でない人間のためのセーフティーネット。
優秀でない人材でも、利益を出す戦力として活用することができる。
その分、優秀な人間は利益の高い業務に集中できる。
下の人間はマニュアルや命令に従い、上の人間は責任を取る。
それこそ組織の在り方だ。
だから、何も考えない機械人形だって立派な組織の一員だ。

 

間違っているのは、命令を無視した上、素人考えで時間を費やし、結果を出せないこと。
アミバ流北斗神拳は最強ではなく。
下手の考え休むに似たりなのだ。

ラーメン屋でラーメンを注文したのに、冷やし中華のメニューを考えるために何時間も待たされてたまるか。

正しいかどうかではなく、命令に従うかどうかが問題である。
塩ラーメンを注文されたら、どんなに美味くても冷やし中華ではダメなのだ。

 

正しいかどうかを判断できる、問題が起きた時に責任を背負える。
その器があるのか?
当然、そうならなければならない。
優秀な頭脳を持たなければならない。

だが思い上がるな。
セーフティーネットに生かされているだけだ。
個人の成長は、会社の利益には関係ない。
勉強や成長は家でやれ。
そんなものは仕事ではない。

もし、個人の成長が求められる世界ならば。
永久に終わらないサービス残業が続くことになる。
自分で考えるとは、そういうことだ。

自由が欲しければ不安を背負え。
安心が欲しければ不自由を背負え。

背負う、支払う、失う覚悟が無ければ、何も得ることはできない。

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