2018年7月27日

コミュニティ

この本を買った理由は、忘れてしまった。
 
最近、本は気になった瞬間に購入し、読むのが後手になっている。
大量に積んでいるのでどんどん読んでいきたい。
 
この本は、タイトルにあるようにコミュニティについての本。
それも、ネットで繋がったこれからのコミュニティの形。
 
コミュニティ2.0、という名前が合っていると思う。
(作中で書かれていたかどうかは忘れた)
 
私はコミュニティを意識した経験が乏しいので
(Facebookやmixi経由でオフ会に参加した程度)
正直、咀嚼しきれなかった。
 
よく、人脈は大切だ。などと言われるが
それについて私は全く理解できず、どのようにすればいいのかカケラも掴めない。
その面において、今後人脈を繋げるとすれば
間違いなくネットを糸口としたコミュニティだろうと思う。
 
内容は買って読め。
 
100人に1人しかいない少数派でも、ネットで集まればかなりの数になる。
マイナーであっても、コミュニティを形成できる。
 
逆に、情報が増えすぎたせいで、1つの事柄を万人に周知できなくなり。
例えばプロ野球みたいな話題が共通認識ではなくなった。
多数派が逆に縮小していくことを、作中ではマジョリティの孤独と言っていた。
核家族化していく家庭、終身雇用の崩壊した会社。
人の属する主なコミュニティは、社会の状態に追いついていない。
著者は経験に基づいたコミュニティのアップデートを提唱している。
興味深い内容だった。
 
先に述べたように私の能力では咀嚼しきれていないので
私なりに解釈しようと思う。
 
アメフトの話とか、高校野球とか、学校は古いコミュニティだと思う。
(私はスポーツ全般が大嫌いなので否定的な話をします)
夏の暑さを理由に、野球を中止にするなら夏コミも中止に、なんて声もある。
 
先の話のように、野球ファンとアニメオタクは、今や同等の規模と言っていい。
そこで、野球やアメフトに対して既視感を覚えた。
 
スポーツは市民権を得ているようだが。
それを常識として振る舞うのは、個人的にいただけない。
高校野球も、アメフトも、ワールドカップも、アニメと同じくド変態である。
 
ワールドカップだからって深夜まで騒ぐのなら、こっちも深夜アニメ流すぞ。
なんてのは個人的な妬みだが。
重要なのはそこじゃない。
 
私が言いたいのは、やりたくない人を巻き込むな。だ。
 
アニメを見たくない人は見なくていい。当然だ。
だから、野球を見たくない人は見なくていい。
ワールドカップを見たくない人は見なくていい。
 
禁止しろって言ってるんじゃない。
 
「やりないさい」ではなく「やってもよい」が必要だ。
 
だからエアコンを点けても点けなくてもいい。
自己責任だ。命令するな。
 
だから、宗教のような絶対的な信仰ではなく、信頼でできたコミュニティというのに憧れる。
古いコミュニティはどうにも窮屈で、だったら孤独のほうがマシだと思う。
 
We are lonely, but not alone.(私達は孤独だが1人ではない)
We are alone, but not lonely.(私達は1人だが孤独ではない)
 
作中の言葉だが、私が思うところは。
 
私達は1人ではない。だが孤独だ。
 
人の多い都市が好きだが、煩わしい関係ならば要らない。
安心できる居場所だけが、孤独を埋める。
 
Twitterには大勢の人がいる。だが部屋には自分しかいない。
それが心地よいと思う。
方向としては合っているが、足りていない。
 
求められているコミュニティとは、そういうものだろうと思う。

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