学校でデザインを勉強したとき。
〇〇のときは〇〇、✕✕のときは✕✕みたいに画一的で。
それでは個人の感性と関係ないのではないか?と思った。
芸術には一定のルールがあり、そこに従っていなければスタートにすら届かない。
某方の本にそのようなニュアンスの話があり、同じような違和感を持っていた。
では、普段の仕事はどうか。
仕事にはルールがあり、それに従う。
けれど、その上で上手くできる人とそうでない人がいる。
ルールだけでは不十分で、その上に重ねるものこそが感性であり個性だ。
例えば、素晴らしい小説でも、異なる言語で書かれていれば読むことができない。
カッコイイ自動車でも安全性を無視していたら乗りたくはない。
日本向けの小説は日本語で書かなければいけないように、自動車の安全性を無視してはいけないように。
きっと芸術にもルールがあるのだろう。
私個人、ブログで使うフォントや同人本の表示やレイアウトなど、全体を見ると自分がどのようなデザインを好いているのか傾向が判る。
客観的な見方は別として、確かに良しとするものには法則があり、感性だと思っているが、それは時間が経つと変わる。
そう思うと、感性は経験から影響を受けていて、全部が自身の内側から生まれ出るものではない。
例えば、刺激の無い生活を送っていればデスメタルが聴きたくなり、精神的に病んでいれば優しいラブソングが聴きたくなる。
明確なルールでないにしろ傾向はある。
だから、そういうものをたくさん学んでいくうちに、〇〇のデザインは〇〇だ。というのを判るようになる。
自分の選んだデザイン、自分の書いた絵、見聞きしているものがどういうのもなのかを、解析して理解することなのだと思う。
漫画やアニメを見たときに、ああこれは90年代の少女漫画に似ている、みたいな感覚があり、その見方が偏っていることも合わせ。
古臭いオジサン向けのアパレルブランドが、それを全く知らない若者に一周回ってウケるみたいなことを含めて考える。
デザインにはルールがある。
感性から始めても、すぐにルールに行き着き、ルールをたくさん学んだ蓄積が感性だろう。
将棋の定石に似ている。
デザインもそういうものだと思う。
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