2021年10月25日

自分の頭で考えることに意味はあるのか?

自分の頭で考える。
それは良いことのように言われる。
 
何をしたいのか、どうなっているのか、どうすればいいのか。
自分で考えることで、理解し能動的に取り組める。
トラブルが起きても臨機応変に対応でき、失敗しても他人のせいにしない。
どんな結果になっても悔いは残らず、経験値が蓄積される。
 
いいや違う。
それこそが思考停止である。
 
自分の頭で考える。
それは悪いことだ。
 
世界初なら仕方ないが、大体のことはすでに誰かがやっている。
車輪の再開発は無意味で、先人の知恵を借りないのは知識への冒涜である。
公式が用意さているのなら、途中式を解く必要は無い。
計算機があるのなら、手計算をする必要は無い。
学校なら経験に価値があるのかもしれないが、仕事は学校ではない。
必要なのは最速で結果に到達することであり、過程は必要ない。
すでにある公式を証明したり、わざわざ手計算を使うのは時間の無駄である。
 
自分の頭で考えるとは、間違えろという命令である。
自分の頭で考えるとは、遅くやれという命令である。
 
経験値は個人の資産だ。
個人とっては意味があるが、会社とっては意味は無い。
経験値を形式化、マニュアル化してこそ、会社にとっての資産となる。
マニュアル化しない経験値は遊びと変わらない。
 
自分の頭で考えるとは。
既存のマニュアルとそれに費やした先人の経験を、無に帰す行為である。
ならば私はこう思う。
私の経験もどうせ無に帰すのだから、この経験も無意味だろう。
 
そのような組織は成長しない。
そのような組織に人は残らない。
 
思考停止が悪いことだと言うのなら。
自分の頭で考えないという選択肢も可能性に含めるべきである。
 
自分の頭で考えることに意味はあるのか?

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