自分の頭で考える。
それは良いことのように言われる。
何をしたいのか、どうなっているのか、どうすればいいのか。
自分で考えることで、理解し能動的に取り組める。
トラブルが起きても臨機応変に対応でき、失敗しても他人のせいにしない。
どんな結果になっても悔いは残らず、経験値が蓄積される。
いいや違う。
それこそが思考停止である。
自分の頭で考える。
それは悪いことだ。
世界初なら仕方ないが、大体のことはすでに誰かがやっている。
車輪の再開発は無意味で、先人の知恵を借りないのは知識への冒涜である。
公式が用意さているのなら、途中式を解く必要は無い。
計算機があるのなら、手計算をする必要は無い。
学校なら経験に価値があるのかもしれないが、仕事は学校ではない。
必要なのは最速で結果に到達することであり、過程は必要ない。
すでにある公式を証明したり、わざわざ手計算を使うのは時間の無駄である。
自分の頭で考えるとは、間違えろという命令である。
自分の頭で考えるとは、遅くやれという命令である。
経験値は個人の資産だ。
個人とっては意味があるが、会社とっては意味は無い。
経験値を形式化、マニュアル化してこそ、会社にとっての資産となる。
マニュアル化しない経験値は遊びと変わらない。
自分の頭で考えるとは。
既存のマニュアルとそれに費やした先人の経験を、無に帰す行為である。
ならば私はこう思う。
私の経験もどうせ無に帰すのだから、この経験も無意味だろう。
そのような組織は成長しない。
そのような組織に人は残らない。
思考停止が悪いことだと言うのなら。
自分の頭で考えないという選択肢も可能性に含めるべきである。
自分の頭で考えることに意味はあるのか?
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