2009年5月10日

知的産業革命

こんばんわ。
ふょさんです。

受け売りも混ざりますが、主観と私見です。
便所の落書きです。
なお、ここではコンピューターもネットもITも、デジタルという括りでほぼ同じ意味とします。

ITバブルはインフラ整備だった。
それは終わった。

ITをエンジンとした出力機。
それはアマゾンだったり、光造形機だったりする。
デジタル化と共にコンカレントエンジニアリングが進み、効率は飛躍的に高まった。
それは途中であろう。

だが。
コンピューターを管理のために使ってはいけない。
コンピューターは人が自由になるためにある。

安い車、安い家電、安い日用品。
車が10万円で買えるようになったとしても、月1で買い替える人はいないだろう。
単価が下がり続けても、需要は増え続けない。
効率の果てに何があるのか。
物価は安くなり、儲けが減り、給料も安くなる。
単なるデフレではないのか。

フリーだとか、コピーだとか。
ネットは儲からないと言われる。
情報が安く手に入るようになった。
情報のデフレではないのか。

では、コンピューターを人が自由になるため使ったらどうか。

オープンでフラットな世界。
そこで展開されるエンターテイメント。

それは何か。

書籍が安い理由は、自己実現だからだという。
お金を払うのは感謝の気持ちだという。

エンターテイメント=自己実現の場。

全てがエンターテイメント化したらどうなるか。

何かをするのは全て自己実現。
感謝をしたらお金を払う。

労働の対価にお金を貰うのではない。

自己実現はお金のためではない。
むしろ実現できたことに感謝をしてお金を払う。

それが全員となればいい。

私がNC工作機を買ったのは金儲けのためではない。
自分のジュエリーブランドを持つ自己実現のためである。

そこに多量の資金を投入して、それが回収できなかったとしても。
自己実現は成功であり、それまでの資金は感謝の気持ちである。

そして私の作ったジュエリーを買うことで、自己実現が果たせるようなエンターテイメントが存在すればいい。

抽象的ではあるが、そんな世界はどうだろうか。
そんなものは妄想だろうか。

人は、妄想を現実としてきた。
そのギャップを埋めてきた。
それは自己実現ではないか。

そこにエンターテイメントは存在するだろう。

知的産業革命。
それはコンカレントエンジニアリングで終結しない。

だってそれじゃ面白くないじゃん。

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