生活は便利になる。
不幸を防ぐことはできる。
技術は、人を幸せにしない。
難しいことを解明して、凄い道具を手に入れる。
それはすぐにコピーされて、珍しいものではなくなる。
そうしたらもう価値は無いから、もっと難しいことを考えなければならない。
繰り返し繰り返し、人はどんどん賢くなっていく。
自動車や携帯電話やロケットを飛ばしたりできるようになる。
ワクワクするような最新技術。
大変だけれど達成感のある仕事。
家事は楽になり、速く移動でき、たくさんの娯楽がある。
それで、人は幸せになっただろうか。
隣の芝は青く見えるもので、どれも似たようなものだ。
周りの環境は全て最高で、愚痴るくらいならもっと別のことをするべきだ。
全て最高。
常に最高。
不満は無い。
私は、完全に満たされてしまった。
それでは、いつ死んでも幸せ。
明日が意味を持たないではないか。
テクノロジーのために難しいことを考えて頭を抱えることが。
全ての人にとって良いわけではない。
不便で原始的な生活が、不幸だとは限らない。
だとしたら、平成と江戸はどちらかが上ではなく。
同じく横並びであって。
テクノロジーが進歩した世界と、していない世界も。
同じく横並びであるのかもしれない。
テクノロジーの上下は幸せとイコールではなく。
別の軸であると考えるべきだ。
Uターンして元の場所に戻る。
退化とか後退というのも。
幸せになれるのなら良いことではないだろうか。
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