2013年1月13日

新しい産業革命後の世界

ここに書くのは浅い思いつき。
素人考えだから、信用しないで欲しい。
それでも、冗談で言っているのではなく。
何が革命なのか、どうしたら革命になるのかを話し、意見を聞きたい。

 

そもそも産業革命とは何だったか。

蒸気機関というエンジンによって、紡績機の生産性が飛躍的に上がった。
電気、火力、水力、原子力、技術的な変化も革命だが。
産業革命は、生活の変化だという。
農業が効率化され人手が要らなくなり、農業に従事していた者が工業へ移った。
太陽とともに寝起きして天候を見て田畑を耕していたのが、電灯の元で24時間機械を回せるようになった。
それが産業として成立するようになった。
農業よりも工業は(偏見だが)綺麗なイメージだった。
(現在では工業よりサービス業が(偏見だが)綺麗なイメージ)
産業革命とは、産業構造が変化し、その結果、生活が変化することを指す。

 

では、現在言われている新しい産業革命。
それはいったい何なのか。

個人がモノづくりをする。
これはある程度あるが、プラモとか手芸とかの趣味が一つ増えるだけであり。
一時的に流行するかもしれないが、継続する人はごくわずかで、革命とは言えない。

大量生産が個人のハンドメイドに取って代わる。
これは無い。
3Dプリンタのハンドメイドは圧倒的に高価で品質も悪い。
数百円で売っているフィギュアを3Dプリンタで出力すると、数千円以上かかるうえに仕上げが必要で、塗装もされていない。
単純な形ならば、板を貼ったり粘土を捏ねたほうが断然早く、日曜大工のほうがマシである。
しかも、電話もできないし映像も出ない。
だから、今新しく出てきた3Dプリンタが大量生産を変えることは無い。

モノづくりのベンチャー企業が増える。
これは有りだ。
一般人が金型に触れることはできず、大量生産の技術を得る機会が無い。
それでは、たとえ良いアイディアがあってもそれ以上に詰めることができず。
市場に出回ることはなく、仕事にならない。
それが3Dプリンタによって一般にできるようになった。
造形を繰り返せば改善点が大量に出てくるし、それを改善することができる。
少なくとも今までよりは、モノづくりのベンチャーが生まれやすくなっていると言える。

 

現在、モノが溢れている。
不便は無く、ゴミが多い。むしろ無くなって欲しい。
スーパーに行けば食料品が手に入るし、アマゾンで何でも買える。
十分に低価格で、餓死はしない。十分に高品質で、これ以上は要らない。
そんな世界で。
大企業がこれ以上、高品質低価格を推し進めたらどうなるだろうか。
労働者が大変になり客は喜ばない。その労働者と客が、同一の人間だったら?
その方針では、幸福から遠ざかってしまう。辞めたほうが良い。
何が売れるか、どうすれば儲かるか。それは判らない。
そんな神がかった頭脳があれば社長になっている。

例えば、私自身、今何が欲しいか。
無い。欲しいものは無い。
本やCDは買うが、今ここに積み上がっていて読み途中だ。
ゲームはしない。テレビも見ない。車も要らない。
PCソフトの学習のほうが面白い。
家電はある。iPhoneやiPadも買ってみたし使っている。
強いて言えば、3Dプリンタの材料くらいだろうか。
時間が欲しいならば、こんなブログは書いていない。
映画か?旅行か?為替は撃沈して手を引いたし。
ああ、嫁が足りなかった・・・。

存在しないものを挙げるとすれば。
今までの大量生産ではない、もっと珍しい特別なものが欲しい。
しかも独自ではなく汎用性に長けた何か。
凄く矛盾しているし明確なビジョンが全く無いから探すこともできないし、あったとしてマニアック過ぎて商品にならなそうだ。

 

SANYOがーSHARPがーPanasonicがー。というニュースを見ていると。
今までの成長路線を維持することは難しいのではないかと思う。

解雇解雇でバラバラ出てきたその人間は、これからどうにか食わないといけない。(私も他人事ではない)

そこでだ。
その人達が、大量生産ではできないマニアックな商品を作ればよい。
品質が悪くても良い。価格が高くても良い。私は欲しいものを買う。
もちろん先に述べた通り、大量生産に取って代わることは無い。
けれども重要なのは、仕事として成立するかどうかだ。
仕事として成立すれば、モノづくりのベンチャーとなれるし。
モノづくりのベンチャーが大量に生まれれば、産業構造の変化となりえるかもしれない。

 

先日、「葛飾区伝統産業職人会の店」に行ってきた。(1/5~1/14)
http://www.jrtk.jp/2k540/info/archives/4805

江戸切子やべっ甲細工、刃物や組紐などの、素晴らしいものを見ることができた。
(制作実演は見られなかったが、置いてあった作業台にときめいた)

これらは大量生産に比べて高価でマニアックなものだ。
容器としての機能だけなら100円ショップで事足りるために、高価な江戸切子は日常生活から離れてしまった。
それをもう一度、一般人の生活と近いものにできないだろうか。

伝統技法から大量生産に移り、また伝統技法に戻る。
単なる回帰ではなく、上昇する螺旋。
新しい伝統産業に変わる。

大企業から溢れた人達が、ベンチャーとして起業し、雇用と消費をもたらす。
それが産業構造の割合を変えるほどになれば。
それは産業革命ではないか。

コンビニのビニール傘は便利だが、ほとんどの人にとって幸福とは違う。
(電車に置き忘れてゴミになる)
高価でも竹細工でできた傘を買って心が満たされるのなら、そちらのほうがずっと良い。

江戸時代のような、手作りの温かさ。
それが産業として成り立つ世界。
大量生産と同居できる世界。

それこそ、新しい産業革命後の世界ではないだろうか。

 

 

長すぎた。

0 件のコメント: