前回、価値に金額は関係ないと言った。
前々回、産業革命は産業になるかどうかが鍵だと言った。
金になるかどうかを論点にするか否かにおいて、真逆。
金があるかどうかと幸福かどうかは違う。
飯が食えなければ生きられない。そのための金が要る。
行いの善悪よりも、儲かるかどうがを優先する。
餓死するならば盗みもやるだろう。
食欲、性欲、睡眠欲、生きることは本能で、遺伝子に刻まれている。
そうでなければ、人類はこんなに増えない。
一方で、幸福とはそれとは違うものだ。
義理とか人情とか、正義のために命を落とすとか。
一人ずつ違う価値観、曖昧で抽象的な幸福。
今も昔も、人は一生かかって探し回る。
支出、収入、労働時間、睡眠時間、家族、GDP。
数字を追えば金になるのかもしれないが、それは幸福とは違う。
本能、遺伝子のプログラムに従い、動物として生きても、やはり幸福とは違う。
良いもの、価値とは何だろうか。
売れる、儲かる、数字が優れているからといって、それは良いものだろうか。
違う、そうではない。
だから、どんなに高品質低価格がアマゾンで簡単に手に入るとしても。
欲しくない。
便利は幸福とは違う。
GDPが高くても幸福とは違う。
高品質低価格、物量、効率、労働時間が短くて給料をたくさん貰っても。
理念に反することはしたくない。
嫌いな人と一緒には働きたくない。
抽象的な言い方だが、ライフワークバランスとかそういうものだ。
都市のオフィスで高価な仕事をするのと、南の島で魚を釣って過ごすのと、どちらが幸福だろうか。
そこで、経験が鍵になるかもしれない。
興味関心のある、面白いことができる。
些細、簡単な事柄でも、そこから多くの何かを得ることができる経験。
金を払うでも、金を貰うでも、経験を鍵として、もっと素敵に生きることができれば。
幸福ではないだろうか。
その世界の実現を、革命としよう。
革命の目指すところが曖昧で、誰も語っていないから。
今ここで変更されてもおかしくはない。
経験を鍵として、仕事と生活の調和がとれた世界。
モノづくりは、その一端を担えるか?
まだまだ甘い。
具体的な行動にまで落とし込み実行しなければ革命にはならない。
まだまだ。
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