2013年1月26日

んでだ

前回、価値に金額は関係ないと言った。
前々回、産業革命は産業になるかどうかが鍵だと言った。

金になるかどうかを論点にするか否かにおいて、真逆。

 

金があるかどうかと幸福かどうかは違う。

飯が食えなければ生きられない。そのための金が要る。
行いの善悪よりも、儲かるかどうがを優先する。
餓死するならば盗みもやるだろう。
食欲、性欲、睡眠欲、生きることは本能で、遺伝子に刻まれている。
そうでなければ、人類はこんなに増えない。

一方で、幸福とはそれとは違うものだ。
義理とか人情とか、正義のために命を落とすとか。
一人ずつ違う価値観、曖昧で抽象的な幸福。
今も昔も、人は一生かかって探し回る。

支出、収入、労働時間、睡眠時間、家族、GDP。
数字を追えば金になるのかもしれないが、それは幸福とは違う。
本能、遺伝子のプログラムに従い、動物として生きても、やはり幸福とは違う。

 

良いもの、価値とは何だろうか。
売れる、儲かる、数字が優れているからといって、それは良いものだろうか。
違う、そうではない。
だから、どんなに高品質低価格がアマゾンで簡単に手に入るとしても。
欲しくない。

便利は幸福とは違う。
GDPが高くても幸福とは違う。
高品質低価格、物量、効率、労働時間が短くて給料をたくさん貰っても。
理念に反することはしたくない。
嫌いな人と一緒には働きたくない。
抽象的な言い方だが、ライフワークバランスとかそういうものだ。
都市のオフィスで高価な仕事をするのと、南の島で魚を釣って過ごすのと、どちらが幸福だろうか。

 

そこで、経験が鍵になるかもしれない。
興味関心のある、面白いことができる。
些細、簡単な事柄でも、そこから多くの何かを得ることができる経験。
金を払うでも、金を貰うでも、経験を鍵として、もっと素敵に生きることができれば。
幸福ではないだろうか。

 

その世界の実現を、革命としよう。
革命の目指すところが曖昧で、誰も語っていないから。
今ここで変更されてもおかしくはない。

経験を鍵として、仕事と生活の調和がとれた世界。
モノづくりは、その一端を担えるか?

 

まだまだ甘い。
具体的な行動にまで落とし込み実行しなければ革命にはならない。

 

まだまだ。

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