学生のころ、一つ上の先輩は大きな存在だった。
圧倒的に技量が上で、かなう相手ではなかった。
年上が偉いと言うわけではないが、尊敬すべきなのは確かだ。
3歳と5歳は、とても違う。
80歳と100歳は、とても違う。
何が違うかというと、経験が違う。
21世紀の生活は便利だ。
何キロも水を汲みに行かなくて済むし。
半日かけてゴハンを炊くことも無い。
チャリですぐコンビニに行けるし、水道から飲める水が出る。
炊飯器のボタンを押せば1時間でゴハンが炊ける。
なくてはならない。大切なものななず。
感動して感謝してもいい、便利な生活なはず。
それなのに、幸福にはならなかった。
あえて、テントで寝泊まりしてみたり、焚き火でバーベキューをしてみたり。
むしろ、それを望んで、金を出してやったりする。
スーパーで買えるのなら、わざわざ畑を耕したり釣りに行ったりする必要は無い。
経験は価値なのか?
私達は、ボタン一つでゴハンが炊ける経験を得た。
逆に、半日かけてゴハンを炊く経験を失った。
20年の経験は、それ以上でも以下でもなく。
失敗しても成功しても、多少不便でも。
内容は違えど、20年は20年分の経験であり価値である。
縄文時代でも、江戸時代でも、21世紀でも、それは同じ。
だから、幸福が変わらない。
コンビニで買うことも、キャンプすることも、どちらも選べるという意味では、現在のほうが便利なのは間違いない。
それなのに幸福になれないのはどうしてだ。
スティーブ・ジョブズは、iPhoneという物体を売ったのではなく、経験を売った。
成功でも失敗でも、多少不便でも、経験こそ価値。
だから、選択肢は2つしかない。
やるか。
やらないか。
待っていても何も来ない。
望む世界は自ら求めなくてはならない。
安い3Dプリンタは、造形の品質が悪い。
市販品と比べて、品質も労力も、全く敵わない。
逆を言えば、その経験ができる。
今後、安くて簡単で高品質な3Dプリンタが出るかもしれない。
逆を言えば、今の経験は失われるのだ。
今3Dプリンタを使う経験は、今しかできない。
Windows95より前のパソコンを知らない。
不便で高価だったかもしれない。
だがそれは価値ある経験だったはずだ。
それは不幸ではなかったはずだ。
今はもう、その経験をすることはできない。
品質も価格も物量も効率も、全てが劣っていても。
幸福は、それとは別にある。
経験は価値なのか?
一つの解になりえるだろうか。
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