最近は本業が忙しいので、少し前の話になる。
詳しく書くことはできない。
端的に言うと、上手くいかなかった。
実際どうだったかは別にして、少なくとも俺は納得していない。
ほんの些細なこと、単純で簡単なことだ。
それが出来なかった。
理念や想いがあっても、それを実現できるかは別の話。
良かれと思った行為が正反対の結果をもたらすこともある。
「出来る」と「出来ない」は正反対だが。
「出来る」と「やった」は天と地の差がある。
だから、どれだけパソコンの中でグルグルしていても。
実際造形してみると違った結果になる。
「理屈と軟膏はどこへでも付く。」ということわざがあるそうだが。
どうにかこうにかそれらしく誤魔化すなんて、いくらでもできるのだ。
内容が伴うかは別。
モノづくりのモノは誤魔化せない。
嘘を付けないから、ありのままの実力がバレてしまう。
私はマトモなものを作ろうと思っていないし、具体的な目標が有るわけでもない。
だからこそ何にでも軽々と手を出して、たとえ失敗しても何とも思わない。
5万10万の損害が出たところで、どうということはない。
それでも、それでは物足りないと思うようになった。
どうしたら変われるのか、届くのか。
何が違うのかを考えた。
願いを叶えるには覚悟が要る。
例えば、原発に反対するのなら、火力の危険を背負わなければならない。
火力によって生じる損害の対策を叫ばなければならない。
覚悟が無い意見は文句であり、野次馬の声など聞くに値しない。
それと同じだ。
求める世界があるのなら、それ相応の覚悟が要る。
覚悟無くして、望む世界は手に入らない。
正直言って、怖くてたまらない。
何十万損するなんてどうでもよい。もっとずっと重い。
覚悟が要る。
やり過ぎなくらいでも全然足りないのだ。
理想通りにはいかない。
だから何回も繰り返し続けなければならない。
熟練の技にするには数多くの経験がなければならない。
そういう意味で、今回のこれは通過儀式。
あるべき必然だった。
紛れもなく重要な経験ができたのだから、もちろん後悔はしていない。
けれども、これから求めるものに必要な覚悟が見えてしまったので。
少々怖くなっている。
ハッキリ見えたわけではないので、もっと見えれば多少落ち着くのかもしれない。
さて。ようやくスタート地点といった所だろうか。
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