2013年3月30日

覚悟

最近は本業が忙しいので、少し前の話になる。
詳しく書くことはできない。
端的に言うと、上手くいかなかった。
実際どうだったかは別にして、少なくとも俺は納得していない。

ほんの些細なこと、単純で簡単なことだ。
それが出来なかった。
理念や想いがあっても、それを実現できるかは別の話。
良かれと思った行為が正反対の結果をもたらすこともある。

「出来る」と「出来ない」は正反対だが。
「出来る」と「やった」は天と地の差がある。
だから、どれだけパソコンの中でグルグルしていても。
実際造形してみると違った結果になる。

「理屈と軟膏はどこへでも付く。」ということわざがあるそうだが。
どうにかこうにかそれらしく誤魔化すなんて、いくらでもできるのだ。
内容が伴うかは別。
モノづくりのモノは誤魔化せない。
嘘を付けないから、ありのままの実力がバレてしまう。

私はマトモなものを作ろうと思っていないし、具体的な目標が有るわけでもない。
だからこそ何にでも軽々と手を出して、たとえ失敗しても何とも思わない。
5万10万の損害が出たところで、どうということはない。
それでも、それでは物足りないと思うようになった。
どうしたら変われるのか、届くのか。
何が違うのかを考えた。

願いを叶えるには覚悟が要る。

例えば、原発に反対するのなら、火力の危険を背負わなければならない。
火力によって生じる損害の対策を叫ばなければならない。
覚悟が無い意見は文句であり、野次馬の声など聞くに値しない。

それと同じだ。
求める世界があるのなら、それ相応の覚悟が要る。
覚悟無くして、望む世界は手に入らない。

正直言って、怖くてたまらない。
何十万損するなんてどうでもよい。もっとずっと重い。
覚悟が要る。

やり過ぎなくらいでも全然足りないのだ。
理想通りにはいかない。
だから何回も繰り返し続けなければならない。
熟練の技にするには数多くの経験がなければならない。

そういう意味で、今回のこれは通過儀式。
あるべき必然だった。
紛れもなく重要な経験ができたのだから、もちろん後悔はしていない。
けれども、これから求めるものに必要な覚悟が見えてしまったので。
少々怖くなっている。
ハッキリ見えたわけではないので、もっと見えれば多少落ち着くのかもしれない。

さて。ようやくスタート地点といった所だろうか。

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