2013年10月6日

百貨店で買え

数年前、Amazonの存在感が増してきた頃。

大丸、松坂屋、三越、伊勢丹が色々あってニュースで騒がれていた記憶がある。
その頃、私はまだ学生でお金が無く。
特別なプレゼントでなければ、百貨店で買い物をすることは無かった。

 

今は、大人になって稼ぎが増えた。
金銭感覚が変わった。
モノづくりの世界にいて、ジュエリーを扱ったり、職人の素晴らしさも知った。
学校では、技術の安売りをするなと教わった。
高品質低価格は価値ではない、幸福とは違うと思うようになった。

それでも、ユニクロやマクドナルドやマツキヨで買い物をしている自分。
それは、正しいのか?

 

先日、新しい革靴が欲しかったので。
百貨店で買ってみることにした。

本当はマジで高価なのを見に行こうと思ったのだが。
事情により急いでいたので現実的なところにした。
それでも、普段の2倍以上の靴を買った。

結果、とても良い。

歩きやすいし疲れない。
四六時中革靴のままで、職場まで歩いたり、急いで電車に乗ったりする。
週5日なので、プライベートの数倍の金をかけて良いはずだ。

長時間使うのだから、ワイシャツやスーツ、ベルトや靴に金をかけるべきだ。
そんなところをケチって、週5日の気分を害すべきではない。

 

百貨店のメンズコーナーには、普段ほとんど人が居ない。
落ち着いていて、とても良い。
そこそこ歳の行ったオジサンが接客をしてくれた。
接客や商品のプロ、信用できるし心地よかった。
普段、コンビニや量販店ばかり行っているが。
驚くほどに違う。

安いもの、安い店が悪いとは言わない。
それはそれで良い点はあるし、だからこそ選ばれているはずだ。

けれど、高価な商品、最高の接客を、見たことも聞いたことも無いようでは。
品質の良し悪し、製品の良し悪し、価値を理解することはできないはずだ。

 

私達は、高品質低価格に慣れ過ぎた。
それが当たり前になってしまった。

それを支えているのは、海外の低賃金労働者。
それから、ブラック企業だと喚いている我々自身である。

搾取の加害者になっている。
己で己の首を絞めていることに気付け。
こんなことで、幸福を最大化することはできない。

 

価値とは何だろうか。
どうしたら幸福になれるだろうか。
理解すべきだ。

価値あると思うなら、高価でも相応の金を払うべきだ。
普段行かない高級な店に、たまには足を運んでみるべきだと思う。

 

靴を買って、代金を支払うとき。
私の財布はレシートで一杯で、とても恥ずかしく思った。

また、百貨店で靴を買おうと思う。
もっと高くてもいい。
そのときはもう少し、身なりを綺麗にしておきたい。

 

ああ、俺は大人になったのか。

0 件のコメント: