数年前、Amazonの存在感が増してきた頃。
大丸、松坂屋、三越、伊勢丹が色々あってニュースで騒がれていた記憶がある。
その頃、私はまだ学生でお金が無く。
特別なプレゼントでなければ、百貨店で買い物をすることは無かった。
今は、大人になって稼ぎが増えた。
金銭感覚が変わった。
モノづくりの世界にいて、ジュエリーを扱ったり、職人の素晴らしさも知った。
学校では、技術の安売りをするなと教わった。
高品質低価格は価値ではない、幸福とは違うと思うようになった。
それでも、ユニクロやマクドナルドやマツキヨで買い物をしている自分。
それは、正しいのか?
先日、新しい革靴が欲しかったので。
百貨店で買ってみることにした。
本当はマジで高価なのを見に行こうと思ったのだが。
事情により急いでいたので現実的なところにした。
それでも、普段の2倍以上の靴を買った。
結果、とても良い。
歩きやすいし疲れない。
四六時中革靴のままで、職場まで歩いたり、急いで電車に乗ったりする。
週5日なので、プライベートの数倍の金をかけて良いはずだ。
長時間使うのだから、ワイシャツやスーツ、ベルトや靴に金をかけるべきだ。
そんなところをケチって、週5日の気分を害すべきではない。
百貨店のメンズコーナーには、普段ほとんど人が居ない。
落ち着いていて、とても良い。
そこそこ歳の行ったオジサンが接客をしてくれた。
接客や商品のプロ、信用できるし心地よかった。
普段、コンビニや量販店ばかり行っているが。
驚くほどに違う。
安いもの、安い店が悪いとは言わない。
それはそれで良い点はあるし、だからこそ選ばれているはずだ。
けれど、高価な商品、最高の接客を、見たことも聞いたことも無いようでは。
品質の良し悪し、製品の良し悪し、価値を理解することはできないはずだ。
私達は、高品質低価格に慣れ過ぎた。
それが当たり前になってしまった。
それを支えているのは、海外の低賃金労働者。
それから、ブラック企業だと喚いている我々自身である。
搾取の加害者になっている。
己で己の首を絞めていることに気付け。
こんなことで、幸福を最大化することはできない。
価値とは何だろうか。
どうしたら幸福になれるだろうか。
理解すべきだ。
価値あると思うなら、高価でも相応の金を払うべきだ。
普段行かない高級な店に、たまには足を運んでみるべきだと思う。
靴を買って、代金を支払うとき。
私の財布はレシートで一杯で、とても恥ずかしく思った。
また、百貨店で靴を買おうと思う。
もっと高くてもいい。
そのときはもう少し、身なりを綺麗にしておきたい。
ああ、俺は大人になったのか。
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