私は子供のころからよく判らんことを考えていて。
その中に「正しい答え」というのがあった。
親と先生が真逆のことを言ったらどうするか。
兄弟と友達とどっちの言うことを聞くか。
仕事と恋人どっちが大事?みたいな話で、学校のテストのように答えが出るはずがないのだが。
そのとき私が勘違いしていたのは、「正しい答え」が自分の外側から与えられるものだと思っていたことだ。
親や先生のように、どこかに絶対正しい神様がいて、それが導いてくれるものだと思っていた。
けれども、私は、自分で答えを出さなければならないことに気付いた。
それは衝撃的なことだった。
私は私が大嫌いだった。
だから私的な想いを全部殺して、絶対の神様に従順に従うことが正義だった。
それなのに、神様が居ないことが判ってしまった。
自分で答えを出すというのは、世界で一番信用できない自分自身が。
世界で一番信用しなければならない、唯一頼れる神様だということだ。
寄りかかる壁や、支える杖、温かいベッドを探していたのに。
広い荒野か大海原で、たった一人で立っていることに気付いた。
なんだこれは。
こんなことなら、もっと自分勝手に生きておくんだった。
やりたいことや欲しいものを無茶苦茶に求めればよかった。
私は他人に媚びて傀儡をしていただけだ。
今の今まで生きてなんかいなかったんだ。
騒がれている原子力発電所は、正しい答えだろうか。
消費税は?TPPは?もっと小さくてもいい。仕事は?結婚は?
明日、会社に行くことは?朝食に白米を食べることは?
それは正しい答えだろうか。
テレビも新聞も世間の人達も。
まるで自分が正義であるかのように、いかにも正しそうなことを言う。
気付いているかは判らないが、知っているはずだ。
正しい答えなど無い。
だが、それではまだ不十分だ。
正しい答えが存在しない。
当然のはずだったものが容易く覆される。
エコを求めていても、エアコンをつけるのだ。
原発反対でもエスカレータに乗るのだ。
人は、世界は、容易く裏切ってくれる。
ならば、私は、私達は。
幸福という名の正しい答えを求めても。
どんな大声で叫ぼうと、喚こうと。
誰からも与えられない。理解されない。振り向いてもらえない。
それは、小さな赤ん坊と同じだ。
思い通りにならないと泣く。伝わらないと泣く。
他に何もできずに、ただただ泣く。
それは私だ。
今まで生きていなかった私だ。
勉強をしている人、お金を稼げる人、力を持っている人。
たくさん集まっても、思い通りにはならない。
思い通りにするためには、現状を変えるには。
欲しいもの、幸福を手に入れるには。
どうすればいいのか。
あなたには、答えが見えているか?
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