2013年10月8日

正しい答え

私は子供のころからよく判らんことを考えていて。
その中に「正しい答え」というのがあった。

親と先生が真逆のことを言ったらどうするか。
兄弟と友達とどっちの言うことを聞くか。
仕事と恋人どっちが大事?みたいな話で、学校のテストのように答えが出るはずがないのだが。

そのとき私が勘違いしていたのは、「正しい答え」が自分の外側から与えられるものだと思っていたことだ。
親や先生のように、どこかに絶対正しい神様がいて、それが導いてくれるものだと思っていた。
けれども、私は、自分で答えを出さなければならないことに気付いた。

それは衝撃的なことだった。
私は私が大嫌いだった。
だから私的な想いを全部殺して、絶対の神様に従順に従うことが正義だった。
それなのに、神様が居ないことが判ってしまった。

自分で答えを出すというのは、世界で一番信用できない自分自身が。
世界で一番信用しなければならない、唯一頼れる神様だということだ。

寄りかかる壁や、支える杖、温かいベッドを探していたのに。
広い荒野か大海原で、たった一人で立っていることに気付いた。

なんだこれは。
こんなことなら、もっと自分勝手に生きておくんだった。
やりたいことや欲しいものを無茶苦茶に求めればよかった。
私は他人に媚びて傀儡をしていただけだ。
今の今まで生きてなんかいなかったんだ。

 

騒がれている原子力発電所は、正しい答えだろうか。
消費税は?TPPは?もっと小さくてもいい。仕事は?結婚は?
明日、会社に行くことは?朝食に白米を食べることは?
それは正しい答えだろうか。

テレビも新聞も世間の人達も。
まるで自分が正義であるかのように、いかにも正しそうなことを言う。
気付いているかは判らないが、知っているはずだ。
正しい答えなど無い。

だが、それではまだ不十分だ。
正しい答えが存在しない。
当然のはずだったものが容易く覆される。
エコを求めていても、エアコンをつけるのだ。
原発反対でもエスカレータに乗るのだ。
人は、世界は、容易く裏切ってくれる。

ならば、私は、私達は。
幸福という名の正しい答えを求めても。
どんな大声で叫ぼうと、喚こうと。

誰からも与えられない。理解されない。振り向いてもらえない。

それは、小さな赤ん坊と同じだ。
思い通りにならないと泣く。伝わらないと泣く。
他に何もできずに、ただただ泣く。

それは私だ。
今まで生きていなかった私だ。

勉強をしている人、お金を稼げる人、力を持っている人。
たくさん集まっても、思い通りにはならない。
思い通りにするためには、現状を変えるには。
欲しいもの、幸福を手に入れるには。

どうすればいいのか。

 

あなたには、答えが見えているか?

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