始めに断っておく。
今している仕事に不満があるわけではない。
だが、どんなときでも改善は必要で。
当然だが、改善せずに現状維持ができるとは思っていない。
まずはこちら。
幸福と仕事量の関係だ。
仕事が無ければ食えないし。
多すぎては疲れてしまう。
幸福を最大化するためには、適切な仕事量が必要だ。
仕事量が適切でなければ、幸福は下がってしまう。
続いて、利益と規模の関係。
規模が大きければ効率が良く、多くの利益を上げることができる。
1人で1の利益だったものが、100人では1000の利益を上げることができる。
規模が小さければ利益を上げられず、競争に負けてしまう。
だがそれは、現代での話だ。
自動化された工場で、効率的に大量に作れるシステムがあるお陰だ。
では、産業革命以前ならどうだっただろう。
1人で1の利益を上げていたものが、100人では100の利益を上げる。
つまり、規模が大きくなっても効率の変わらない世界だ。
もちろん効率が悪いから、利益は少ない。
だが、それは他の企業も同じだから、競争で負けるわけではない。
産業革命以降、規模による効率化が始まった。
効率の高い一部の企業は勝ち、効率の低い多くの企業は負けた。
規模が小さいか同等の企業が競争に勝つためには、どうにか効率を上げなければならない。
無理やりにでも、仕事量を増やせばいい。
そうすれば、同じリソースで多くの利益を得られ。
効率が上がったのと同じく、競争に勝てる。
仕事がある人間は死ぬほど忙しく。
無い人間は、飢える。
そうして、適切な仕事量から外れてしまった我々は。
利益を出そう出そうと苦労を重ねた結果、幸福を下げてしまったのだ。
だがそれは一概には言えない。
なぜなら、産業革命のお陰で、我々は潤沢なモノを得ることができた。
欲しいものは、何でも、早く、安く、Amazonでポチれば手に入るのだ。
それは我々が目指していた世界だろう。
品質、価格、物量、効率、速度を上げに上げて競争に勝ち。
求める世界を作ったのだ。
だが、それは幸福ではなかった。
それを得るために、幸福を失ってしまったのだ。
断捨離、捨てる技術、所有しない、ノマドなんとか。
モノなんか、無いほうがいい。
気付け。気付くんだ。
我々が目指していたものは間違いだったんだ。
売上、利益、給料、GDPを上げること、それは幸福ではなかったのだ。
幸福のために、適切な仕事量が必要である。
大勢が適切な仕事量を得るためには、極端な効率化は逆効果である。
どう足掻いても、現代のモノづくりは産業革命以前よりも効率が高い。
上がったものを下げることはできないだろう。
グラフの軸に、具体的に何が当てはまり、どうやって測定し、何をしたらそれを変えられるのかは判らない。
だが、幸福とは、豊かさとは、価値とは何か。
曖昧な概念ではなく、数値で示すことが可能であるかもしれない。
私は、幸福の製造ができる世界を望んでいる。
モノづくりは、そのために存在するべきだと思っている。
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