2014年1月4日

雑記

私は先日、設計図を作りたいと言った。

偶然口に出た。
偶然。と言うと軽々しく聞こえるだろうが。
具体的な完成品を描いたのは、初めてだ。

 

進捗はこんな感じなのだけれど。
(具体的にどうという話は後日にする)
IMG_1032

例えば、ドリルで穴を開ける。

ピンバイスか、電動ドリルか、ボール盤か。
目分量で位置を決めるのか。

ある程度ガタを許容するならば適当でよい。
3ミリの軸を通すのに、3.5mmの穴を開ければよい。
位置が多少ズレていても、問題ない。
では、それで機能を果たすのか。

満たすには、何の設備が必要なのか。
どれほどの熟練を要するのか。
穴はどこまでズレてよいのか。
それをどうやって測定するのか。

 

特別な道具や材料を使わず。
誰でも作れる設計図を作りたい。

私より高い技術を持っている人はたくさん居る。
その人達は素晴らしい。設計図がヘタクソでもモノを作れるだろう。
だが私のようなヘタクソには、それができない。
懇切丁寧な組み立てキットでなければ、モノを完成させることができない。

だから、それは。
この世界は、ヘタクソな人をモノづくりから排除している。

絵は上手くなければならないのか?
歌は上手くなければならないのか?

そうでない者を弾き飛ばして、専門分野の最先端をブラックボックスに込めたところで。
その先にあるのは、高品質低価格が投げ売りされる世界ではないか。

故意ではないのは知っている。
たぶん、目的がそこではないからだ。
だからこそ私は、他の人の後を追うことはしない。

 

ネットが無かったら、私は3Dプリンタに触れることはなかった。
多くの人、多くの声のお陰で、私は多くの情報と物体と、価値を得た。
この経験は、凄く大きなものだ。
しかも、私のようなヘタクソでも大丈夫だ。
みんなもやってみるといい。

切削機キットを2台組み立てた。
積層の3Dプリンタキットを組み立てた。
電気の勉強をして半年以上。
機械は学校で習ったし、そこそこ関係ある仕事に就いている。

それでも、ネットに書いてることは、全然理解できない。
言われた言葉の中に、知っている単語が1つも出てこないこともあった。
自分がオームの法則すら判っていないと気付いたときはガッカリだった。
英語だってGoogle翻訳にお任せ。
公式のホームページならまだしも、ブログや掲示板は翻訳がめちゃめちゃで全く読めない。
もちろん満足していない。全然足りていない。
だが、それを悪いとは思わない。

安心安全な結果だけの世界など要らない。

結果は問題ではない。
過程こそ道。

苦労を辞めろ
努力をしろ。

私はそういう人を応援する。

品質、価格、物量、効率、速度、これでは大量生産に叶わない。
だが、それ以外の価値を生み出せるとしたら?

まだ、何も見えていない。
だが、それこそ私の望む革命。

 

残念だ。まともな文章にならなかった。

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