2014年1月26日

人と会った話

正直なところ、私はあまり人と会わない。
いつも引きこもっているのだが。
ここ最近、珍しく人と会って話をした。

対話をしなければならない。
化学反応を起こすことができる。
だがそれも手段であり目的ではない。
しかも、人と会って化学反応を起こすためには。
長時間引きこもって成果を貯めないといけない。
ジェネラリストとスペシャリストで言えば。
化学反応を起こすのは、不安定で偏ったスペシャリストだろう。

それでも基礎は要る。
最低限の常識、当たり前の普通を持ち。
その上で、それらを全否定できるスペシャリスト。
沈黙は金、雄弁は銀。
金は銀を含み、雄弁でない沈黙には価値はない。
3Dは2Dと1Dを含む。
絵や線や点を除外して、3Dだけを扱うと薄っぺらくなる。

類は友を呼ぶで、似たような者同士が集まる。
化学反応が起きない安定した心地よい世界。
けれども、それではダメなのだ。
それで満足してはいけないと望んでいる。

小綺麗な理想に比べ、圧倒的に能力が足りない。
ヘタクソで良いのだから、それは問題ではない。
問題は別の能力だ。
私は、私の望む世界を手に入れるために。
何をすればいいのか。
そう思うと。
結局私は、人を見ていないのだ。
化学反応と称して人を見ているフリをして。
結局、自分自身の変化にしか興味が無い。
それは閉じた世界だろうか。

望む世界を明確に描いた。
それは、あり得ない幻想か。
もしそれが過去に実在した世界だとしたら。
時間的にも、閉じた世界に逃げ込もうとしているのか。
それで自分を否定することは。
進むことを躊躇っているのか。
それとも、矛盾を内包してこそ、閉じた世界が存在を許されるだろうか。

 

私は、モノづくりの人間ではなくなった。

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