正直なところ、私はあまり人と会わない。
いつも引きこもっているのだが。
ここ最近、珍しく人と会って話をした。
対話をしなければならない。
化学反応を起こすことができる。
だがそれも手段であり目的ではない。
しかも、人と会って化学反応を起こすためには。
長時間引きこもって成果を貯めないといけない。
ジェネラリストとスペシャリストで言えば。
化学反応を起こすのは、不安定で偏ったスペシャリストだろう。
それでも基礎は要る。
最低限の常識、当たり前の普通を持ち。
その上で、それらを全否定できるスペシャリスト。
沈黙は金、雄弁は銀。
金は銀を含み、雄弁でない沈黙には価値はない。
3Dは2Dと1Dを含む。
絵や線や点を除外して、3Dだけを扱うと薄っぺらくなる。
類は友を呼ぶで、似たような者同士が集まる。
化学反応が起きない安定した心地よい世界。
けれども、それではダメなのだ。
それで満足してはいけないと望んでいる。
小綺麗な理想に比べ、圧倒的に能力が足りない。
ヘタクソで良いのだから、それは問題ではない。
問題は別の能力だ。
私は、私の望む世界を手に入れるために。
何をすればいいのか。
そう思うと。
結局私は、人を見ていないのだ。
化学反応と称して人を見ているフリをして。
結局、自分自身の変化にしか興味が無い。
それは閉じた世界だろうか。
望む世界を明確に描いた。
それは、あり得ない幻想か。
もしそれが過去に実在した世界だとしたら。
時間的にも、閉じた世界に逃げ込もうとしているのか。
それで自分を否定することは。
進むことを躊躇っているのか。
それとも、矛盾を内包してこそ、閉じた世界が存在を許されるだろうか。
私は、モノづくりの人間ではなくなった。
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