モノづくりモノづくり言っているが、思想や理屈なんてのはモノづくりじゃない。
手を動かすべきだ。
最近、仕事が忙しいのを言い訳にして、手を動かさなくなった。
モノづくりをしなくなった。
しなくなって忘れた。
私はモノづくりを辞めた。
保育園のころ、ノコギリで木を切っていた。
何を作っていたか覚えていない。
覚えているのは、「上手だね」って褒められたこと。
もちろん上手なわけはない、完成したかも覚えていない。
それが、私がモノづくりを志した原点。
以前、究極の造形とは何かを考えた。
ミケランジェロの彫刻や、日本の仏像。
萌えフィギュアの先はそういうもの。
美しい、価値のある、目指すべきはそこだと思った。
でもそれは違うかもしれない。
子供の遊びのほうが、究極ではないのか。
子供の遊びはヘタクソだ。
一般のほとんどの人はモノづくりをしない、同じようにヘタクソだ。
それは、モノづくりを辞めた自分と同じだ。
ヘタクソなモノづくりをしてはいけないのか。
ヘタクソな歌を歌ってはいけないのか。
ヘタクソな絵を書いてはいけないのか。
それでは、焚き火を囲んで踊っている原始人のほうが楽しそうではないか。
縄文時代なら家を建てた、服を縫った、獣を狩った、土器を作った。
今はそれが出来ない。
21世紀まで来て何が進化したのか。どう見ても退化ではないか。
私はモノづくりを辞めた。
だが、それによって別の何かが見えた。
価値とは何か、目指すべき場所はどこか。
一周回り、同じ場所に帰ってきた。
螺旋階段を周り、次は二周目。
強くてニューゲーム。
さあ、モノづくりを始めよう。
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