2014年1月30日

モノづくりを辞める

モノづくりモノづくり言っているが、思想や理屈なんてのはモノづくりじゃない。
手を動かすべきだ。
最近、仕事が忙しいのを言い訳にして、手を動かさなくなった。
モノづくりをしなくなった。
しなくなって忘れた。
私はモノづくりを辞めた。

保育園のころ、ノコギリで木を切っていた。
何を作っていたか覚えていない。
覚えているのは、「上手だね」って褒められたこと。
もちろん上手なわけはない、完成したかも覚えていない。
それが、私がモノづくりを志した原点。

以前、究極の造形とは何かを考えた。
ミケランジェロの彫刻や、日本の仏像。
萌えフィギュアの先はそういうもの。
美しい、価値のある、目指すべきはそこだと思った。
でもそれは違うかもしれない。
子供の遊びのほうが、究極ではないのか。

子供の遊びはヘタクソだ。
一般のほとんどの人はモノづくりをしない、同じようにヘタクソだ。
それは、モノづくりを辞めた自分と同じだ。

ヘタクソなモノづくりをしてはいけないのか。
ヘタクソな歌を歌ってはいけないのか。
ヘタクソな絵を書いてはいけないのか。
それでは、焚き火を囲んで踊っている原始人のほうが楽しそうではないか。
縄文時代なら家を建てた、服を縫った、獣を狩った、土器を作った。
今はそれが出来ない。
21世紀まで来て何が進化したのか。どう見ても退化ではないか。

 

私はモノづくりを辞めた。
だが、それによって別の何かが見えた。
価値とは何か、目指すべき場所はどこか。
一周回り、同じ場所に帰ってきた。
螺旋階段を周り、次は二周目。
強くてニューゲーム。

 

さあ、モノづくりを始めよう。

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