2014年3月1日

与えられたレール

たくさん勉強をして、良い大学に入る。
大学を卒業して、就職する。
結婚して、車を買い、家を買う。
ずっと同じ会社に務めて、定年退職をして年金を貰う。

 

私はもう新卒とは言えなくなってしまったので。
レールに乗るプラチナチケットは持っていない。
だが、そもそもレールなんてものは幻想だったんじゃないかと思う。

 

不況だとかそういうのは俺が何か言うことじゃない。
でも、一人の人として、あれこれやってきて。
最近思ったことは。
高学歴でお役所に入って、コピー取りしかしなくても。
それはそれで、素晴らしいシステムだ。
やりがいとか年収とか、そういうのは価値観一つでひっくり返る。

 

何が優れているとか、そんなのは無い。
高いビルにあるオフィスで、でかいプロジェクトを動かしていても。
田舎のコンビニでアルバイトをしていても。
コミケで薄い本を出して大赤字でも。
畑でダイコンを育てていても。
どちらが幸福かなんて判らない。

 

税金入れて動かしているから、建築土木や自動車は仕事がある。
ならばそれは、労働者の能力とは関係ない。
単なるラッキーだ。
方針が変われば、簡単にひっくり返る。

 

高学歴、高収入、結婚して、車や家を買って。
そんなのは大嘘だ。
金を得るために宣伝広告をばらまいているだけ。
当たり前なんて無い。全部大嘘だ。
俺達は、それに群がって蟻、踊っているサル。

 

21世紀とか経済成長とか先進国とか。
キレイキレイで文化的な感じに聞こえるかもしれないけど。
武器弾薬をバカスカ売って、失業者や自殺者を増やして。
ちっともキレイじゃない。
北斗の拳に出てくる、ヒャッハーの世界と全然変わらない。
幸福かどうかは、21世紀も縄文時代も変わらない。
ちっとも進歩していない。

 

なんだこりゃ。
紙幣や株式は紙切れ。
未来に抱く夢や希望は妄想。
漫画やアニメや、情報や電子をくだらないというなら、この世界は全てくだらない。

 

悲観してるわけじゃなくて。
始めから、そんなものだったと思えばいい。
だからこそ、ならばこそ。
本物が見えるようになる。

 

手を下す時は、すぐそこ。

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