2014年3月8日

世界と個人

地図を開く。
さて目的地までどのぐらいだろうか。
判らないだろう。
当然だ。目的地が設定されていないのだから。
近くのコンビニなら歩いて行ける。
東京に行くには駅に向かう。
アメリカに行くには、パスポートを持って成田に行く。
だが、目的地が設定されていなければ、進んでいるのかどうか判らない。
始めはやみくもに走り回るのもいいだろう。
だが、目的地に到達するには自分の価値観を定めなければならない。
そうでなければ成長や前進は無い。

 

縄文時代と21世紀、どちらが幸福だろうか。
21世紀にいる我々は「22世紀に生まれなかったから不幸だ」と言うだろうか。
それは違う。
ならば、縄文時代と21世紀の幸福は同じ。
ならば、ならば、今までの歴史は一体何だったのか。
我々が積み上げてきたもの、これから積み上げていくもの。
それでは幸福になれず、無意味なものだというのか。
では、何をすればいいのか。
価値とは、幸福とは、最大化すべきものは一体何なのか。

 

さて。
書いていて気付いたことがある。
世界と個人。
この2つは、似たもの、同じものではないだろうか。

 

価値とは、幸福とは何か。
最大化すべきものを示し、そこへ近づくことが成長、進歩である。
もちろん絶対の正解や、完全なゴールは無いだろう。
ならばそれは、絶対的な目的地があるのではなく、方向なのだろう。
方位磁針のように、どこかから差す光のように方向を示す。

 

大海原で、サバンナの真ん中で。
地図を開き、方向を決めるのだ。
正解など無い。だが。方向を決めることは出来る。
価値とは、幸福とは何か。
最大化すべき、向かうべき方向はどこか。

 

一日一歩ずつ歩けば前へ進む。
だが、我々には寿命がある。
春に咲く桜の花を、100回見ることはできない。
遅かれ早かれ、決めなくてはいけない。
何をすれば、死ぬときに後悔しないか。
墓の中に、何を持っていくのか。

 

手を下す時は、すぐそこ。

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