地図を開く。
さて目的地までどのぐらいだろうか。
判らないだろう。
当然だ。目的地が設定されていないのだから。
近くのコンビニなら歩いて行ける。
東京に行くには駅に向かう。
アメリカに行くには、パスポートを持って成田に行く。
だが、目的地が設定されていなければ、進んでいるのかどうか判らない。
始めはやみくもに走り回るのもいいだろう。
だが、目的地に到達するには自分の価値観を定めなければならない。
そうでなければ成長や前進は無い。
縄文時代と21世紀、どちらが幸福だろうか。
21世紀にいる我々は「22世紀に生まれなかったから不幸だ」と言うだろうか。
それは違う。
ならば、縄文時代と21世紀の幸福は同じ。
ならば、ならば、今までの歴史は一体何だったのか。
我々が積み上げてきたもの、これから積み上げていくもの。
それでは幸福になれず、無意味なものだというのか。
では、何をすればいいのか。
価値とは、幸福とは、最大化すべきものは一体何なのか。
さて。
書いていて気付いたことがある。
世界と個人。
この2つは、似たもの、同じものではないだろうか。
価値とは、幸福とは何か。
最大化すべきものを示し、そこへ近づくことが成長、進歩である。
もちろん絶対の正解や、完全なゴールは無いだろう。
ならばそれは、絶対的な目的地があるのではなく、方向なのだろう。
方位磁針のように、どこかから差す光のように方向を示す。
大海原で、サバンナの真ん中で。
地図を開き、方向を決めるのだ。
正解など無い。だが。方向を決めることは出来る。
価値とは、幸福とは何か。
最大化すべき、向かうべき方向はどこか。
一日一歩ずつ歩けば前へ進む。
だが、我々には寿命がある。
春に咲く桜の花を、100回見ることはできない。
遅かれ早かれ、決めなくてはいけない。
何をすれば、死ぬときに後悔しないか。
墓の中に、何を持っていくのか。
手を下す時は、すぐそこ。
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