私は今まで、霧散した自身を収束させようとしていた。
見聞きしたもの、教科書や人の意見や世間の声、身の回りの全て。
それは得ているようでいて、実は霧散していたのではないかと思う。
人に従えば人形と言われ、我を通せば自分勝手と言われる。
正しい答えは無く、惑わされてばかりだった。
Aを得ればBを否定され、Bを得ればAを否定される。
自身は自身を否定するばかりで、積み重ねではなく乱されるだけだった。
神だと崇めていたものが、実は違っていたり。
どうしようもないクズが、実は大切だったりする。
世界には己しかなく、己こそ世界だった。
何もかも全てを己に収束させることが、得るということだった。
そして、その解には、ほぼ近い所まで行くことができた。
世界は2つある。
一つは己で、もう一つは己以外。
解を得た私は、世界の片側を見ることができた。
だがそれでは半分だ。
己以外を見なければ、世界の全ては完成しない。
何でも思い通りになる世界が己だとしたら。
己の外側は、思い通りにならない世界。
常に刺激的で、予想外なことがたくさん起きるのだろう。
私は、己以外を見ていなかった。
人のせいにするな。原因を己の外側に作るな。
原因は全て自分にあり、だからこそ改善できる。
人の顔や名前は覚えないし、誰が何をしたとか全く興味が無い。
私の世界は閉じている。閉じることを良しとしている。
世界の半径は5M。
その中の全てを思い通りに動かし、満たされた最高の状態に作り上げたとしよう。
だがそれは、世界の片側でしかない。
思い通りにならない世界に興味がある。
端的に言えばそういうことだろう。
2つの世界を混同しないように気をつけなければならない。
誰かが私を殴ったら、原因は私にある。
決して自分の外側に原因を作ってはいけない。
原因も事象も、当然の結果だ。
善人も悪人も、強者も弱者も、等しく異なるものとしてある。
それが、思い通りにならない世界。
答えの先、答えの向こう側である。
生きる能力はあるだろうか。
立って歩く能力はあるだろうか。
始まりの時はすぐそこにある。
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