価値とは行い、行動だ。
例えば、宅急便で荷物を運ぶとする。
トラックで運ぶという行動。そこに価値がある。
だが、それは誰がやっても同じだ。
では途中で紛失してしまったらどうするのか、予定の時間に届かなかったらどうするのか。
謝罪して料金を払ったりする。
運ぶという行動は同じでも、約束する保障するというのが入れば料金は上がる。
それは付加価値になるはずだ。
だから、行動に加えて責任を負うことで、価値を上げることができる。
大きな企業は責任を多く背負っているので、違法なことをしたら立ち行かない。
問題が起きても返金する余力がある。
だから、客側はそれなりの対応を期待でき、多くの人がチェーン店で飯を食べる。
全く同じ仕事をしていても、嫁と子供が居る人はそうでない人に比べて覚悟が違う。
その覚悟は、明らかに結果に影響する。
何かを得るには、同等の代価が必要。
(鋼の錬金術師)
何も失う覚悟のない者は、何も得ることはできない。
(進撃の巨人)
不満があるなら自分を変えろ。それが嫌なら目と耳を閉じ、口をつぐんで孤独に暮らせ。
(攻殻機動隊)
政治が悪いとか文句を垂れたところで、当人が何も支払わなければ世界は変わらない。
望む世界を得るためには、価値を生み出し支払わなければならない。
価値とは、行動と責任だ。
そしてこの2つに共通することは、奪えないし奪われないということだ。
「責任を負え」と他人に強要することは無意味だ。
なぜなら、自身で認識しない責任など嘘だからだ。
「やれ」と言われてやったものは命令に従っただけであり、行動であっても責任ではない。
そんなものは責任ではない。
縄文時代と21世紀の幸福が変わらない理由。
都市でもジャングルでも変わらない。
行動を支払うこと、責任を背負うこと、それが価値であり幸福なのだ。
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