2016年5月30日

自分で考える

自分で考えることは悪である。

先人の蓄積した教えを無視し、車輪を再開発する。
子供の絵は独特だが、総じて子供の絵である。
オリジナリティは模倣の上に成り立つもので、初めから自分で考えるなど余程の天才でない限り時間の無駄である。
下手の考え休むに似たりであり、凡人なら自分で考えるよりもマニュアルに従う機械人形になったほうが良い結果を出せる。

と考えていた。

だが皆は口々に言う「自分で考えろ」
私はそれが理解できなかった。
それは結果を悪くすることだ。
失敗しろということだ。
時間を無駄にしろということだ。
なぜそれをしろというのか。

休日は何をして過ごすだろうか。
土日なら寝て過ごすのもいいが、連休は?定年後は?
そこにマニュアルは無い。
マニュアルにばかり頼っていたら自由になったときに困る。
そんなことは判っている。
私は、マニュアルのほうが良い結果が出ると言っているのだ。
結果を求めるならば自分の頭で考えるなと言っている。

 

マニュアル通り、教科書通りにやっていれば失敗しない。
だが、それ以上のものは得られない。
経験や成長は得られない。
経験や成長とは、すなわち失敗である。

自分の頭で考え、経験し成長する。
それは、失敗を許容するということ。
どんどんやれ。失敗しろ。失敗がまだまだ足りない。

今まで結果にばかりを見てきた。
自分の頭で考える。経験や成長など無駄なものだと切り捨ててきた。
それは間違いだった。

結果など必要最低限でいい。
そんなものはさっさと切り上げて、自分の頭で考えろ。
どんどんやれ。どんどん失敗しろ。
それが経験であり成長だ。

 

コンピュータは膨大な情報を持っている。
マニュアルや教科書ではコンピュータに叶わない。
人の仕事があるならば、それは自分で考え、失敗し、経験し、成長することだろう。

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