2019年10月5日

なぜ給料が上がるのか2

※全て妄言です。

なぜ同じ年齢同じ能力でも給料に違いがあるのか。
 
例えば、同時に入社した同年代で同じ役職なら、給料はほぼ同じだろう。
しかし、中途入社ならば給料は違う。

なぜか、それはそういう評価システムだからだ。
○○の給料は✕✕というように、機械的に決められている。
その制度に比べれば個人の能力なんてのは誤差の範囲でしかない。
なぜ決められているかというと、イチイチ評価するのが手間だからだ。
要するに、能力や成果を評価するのは、面倒くさいからやらない。
 
ゆえに、能力がどうこうではなく、会社の制度が給料を決める。
そしてその制度は、能力なんて曖昧なものは見ていない。
例えば営業なら売上や利益で数字が出るが、数字の出ない仕事だってある。
それらが複雑に絡み合った経験を評価するなんてのは、不可能だ。
だから「給料は、次の日に出勤するための一般的なコスト」に落ち着く他はない。
 
学歴の高い人=能力が高い人ではない。
しかし「書類上は優秀であることの証明」であるから、人事としては言い訳が効く。
書面を見て判断したのだから、問題が起きても俺のせいじゃない。と言える。
だから採用される率が高い。
 
そうすると、学歴の高い人はもっと給料の高い会社に移ってしまう。
移ってしまえば、次の日に出勤してこない。
ゆえに「給料は、次の日に出勤するための一般的なコスト」なのだ。
 
「こんな安い給料じゃ働きたくない」
大勢がそう考え、行動に移すならば、次の日に出勤するための一般的なコストが上がる。
それが昇給なのだ。
物価は人件費に影響され、人件費は物価に影響される。
その根源は「こんな安い給料じゃ働きたくない」という気持ちであり。
だから、景気の「気」は気持ちの「気」である。
 
ではどうやって給料を上げるのか。
まず、一般的なコストを意図的に操作することは不可能だ。
それは個人がどうこうできるものではない。
「売上が増やせないなら、コストを下げればいい」
給料は「一般的」なコストであるから、一般的よりもコストを下げればよいのだ。
例えば車を買わないなどで、相対的に貯金できるようになる。
それでは給料は上がらないが、生活にゆとりは生まれる。
得意なことを仕事にするというのも「一般的」よりもコストを下げる方法の一つだ。
 
私は引っ越して電車通勤を辞めた。
満員電車に詰め込まれるのは「一般的なコスト」だが、私にはそれが無い。
だから、肉体的精神的、それから時間的に有利だ。
 
一般的だとか当たり前だとか、そういう常識は思い込みである。
車を買え、家を買え、結婚しろ、綺麗な服を着ろ。
それらは確かに満足を高めてくれる。
しかしそれは一般的な話であって、個人に合致するかどうかは別の話だ。
それに、大方そういうのは商業的な宣伝広告だ。
そんなものに踊らされていては、ゆとりなど生まれない。
 
近年、大ヒットが生まれにくいと言われている。
テレビや新聞で大々的に宣伝広告を打てば、爆発的に売れるなんてものが。
いにしえの世界にはあったらしいのだが、俺はそれを知らない。
たまに「納豆は体にいい!」みたいな番組が放送されると、次の日は納豆が売り切れになるという。
それこそ、一般的なコストであろう。
そういった踊らされる側からいかに抜け出すか。
それが、豊かさに繋がるものではないだろうか。
 
今まで書いた話は、全てサラリーマンの話だ。
フリーランスや自営業はその限りではなく、真に「価値の対価」が求められる。
(もちろん、例外も多々あるけれど)
 
やはりというか、当たり前な結論にたどり着く。
「何に価値があるのか、自分で決めろ」
測られる側ではなく、測る側になりたい。

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