良し悪しや優劣が語られる。
「どうしたらいいのか」「何をしたらいいのか」
それが判らず、自己啓発本を買い漁る。
価値があるものとは何なのか?
そのために何をどうしたらいいのか?
絶対的に正しい真理のような正解がどこかにあるのではないか?
道は違えど、辿り着くべき最終終着点がどこかにあるのではないか?
若いときはそう思っていたのだけど、結局そんなものは無かった。
価値創造だとかイノベーションだとか。
あたかも進むべき方向を示されているように思う。
でもそれは違う。
そんなものは、誰かが勝手に叫んでいるに過ぎない。
仮に、原始時代の生活を思い描いてみる。
朝起きて、川から水を汲み、木の実を採り、動物を狩る。
料理をして、服を縫い、家を建てる。
それで1日が終わる。
一生も終わる、何千年も時間が過ぎる。
それが標準だと思ってみよう。
仕事が大変だとか、会社が潰れるとか。
そんなものは些事である。
パソコンのメモリが10倍になるとか、製品価格が半分になるとか。
そんなものは些事である。
絶対的に正しい真理とか、目指すべき到達点とか。
そんなものを考えるよりも、今日の晩ごはんについて考えたほうがいい。
「生理」「安全」が先にあり「社会」は後だ。
決してその逆ではない。
「承認」はその後だ。
決してその逆ではない。
「自己実現」はその後だ。
決してその逆ではない。
飯を食わないと死ぬ。自然とそうなっている。
リンゴは上から下に落ちて、逆には落ちない。
自己実現や価値創造は、その後に来るもの。
生活必需品ではないもの。(生理、安全とは関係ないもの)
ムダなもの、無くてもいいもの、余計なもの。
そういうのは全て、モチベーションから来ていると思う。
好き嫌い、気分だ。
だからそんなものに優劣は無い。
価値創造とかイノベーションとか世界経済とか。
そんなものは娯楽に過ぎず、モチベーションによって成り立っている。
なんとなく面白いと思うからやってみているだけだ。
生理と安全の先に行くには、モチベーションが必須だ。
だが逆に、それは必要最低限に含まれない、余計な無駄である。
だから、仕事などという些事に健康を害されてはならない。
それは絶対だ。
生理安全が確立された後、その後にくる余計な無駄は全てモチベーションだ。
なんとなく面白いと思うからやってみている。
そこに時間を割けることこそが、豊かさである。
余計な無駄、娯楽であるから、面白いと思わなければ嘘だ。
優劣ではない。
それら全ての根源はモチベーションだ。
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