2019年11月4日

異なる分野の同じ現象

Twitterからいくつかの話を拾ってきたので。
今日はその話をする。
 
SF(サイエンスフィクション)はXXでなければならない。
という縛りが増えすぎた結果、SFを避けてファンタジーに行ってしまった。
 
小説はXXでなければならない。
という縛りが増えすぎた結果、ラノベに行ってしまった。
 
着物(和服)はXXでなければならない。
という縛りが増えすぎた結果、洋服に行ってしまった。
 
ジュエリーはXXでなければならない。
という縛りが増えすぎた結果、ファッションアクセサリーに行ってしまった。
 
物事が深化するほどに、初心者にはその理解が及ばなくなる。
有識者は、その知識を振りかざして無知な者を叩き潰す。
その結果「若者のXX離れ」などと言われる。
絵に書いたような衰退である。
 
個人は有限である。
だから、物事が長続きするためには、初心者に引き継がれなければならない。
だがその引き継ぎは、完全なコピーではない。
変化して違うものに変わる。
子供は親のコピーではない。
子供は親とは違う時代を生きるのだから、同じ結果にはならない。
 
そこでXXでなければならないという縛りを持ち込むと。
子供はそれを拒絶する。
既存のものを全て否定して、全く違うものを良しとする。
そこには有識者はおらず、簡単にトップに立てる。
「俺様偉い」という老害が居ないことが良いことである。
しかし老害から逃れた若者が「俺様偉い」を気取っているならば。
結局、同じ末路を辿る。
 
続けるためには、変化を受け入れる必要がある。
初心者の未熟さや、そこから生まれる変化を良しとしなければ。
物事はその代で終わるのだろう。
 
ここで導かれる結論は2つある。
一つは、変化を受け入れる器の広さが、長く継続させる鍵であることだ。
一つは、「俺様偉い」は気分が良く大勢が望むところであるということだ。

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