Twitterからいくつかの話を拾ってきたので。
今日はその話をする。
SF(サイエンスフィクション)はXXでなければならない。
という縛りが増えすぎた結果、SFを避けてファンタジーに行ってしまった。
小説はXXでなければならない。
という縛りが増えすぎた結果、ラノベに行ってしまった。
着物(和服)はXXでなければならない。
という縛りが増えすぎた結果、洋服に行ってしまった。
ジュエリーはXXでなければならない。
という縛りが増えすぎた結果、ファッションアクセサリーに行ってしまった。
物事が深化するほどに、初心者にはその理解が及ばなくなる。
有識者は、その知識を振りかざして無知な者を叩き潰す。
その結果「若者のXX離れ」などと言われる。
絵に書いたような衰退である。
個人は有限である。
だから、物事が長続きするためには、初心者に引き継がれなければならない。
だがその引き継ぎは、完全なコピーではない。
変化して違うものに変わる。
子供は親のコピーではない。
子供は親とは違う時代を生きるのだから、同じ結果にはならない。
そこでXXでなければならないという縛りを持ち込むと。
子供はそれを拒絶する。
既存のものを全て否定して、全く違うものを良しとする。
そこには有識者はおらず、簡単にトップに立てる。
「俺様偉い」という老害が居ないことが良いことである。
しかし老害から逃れた若者が「俺様偉い」を気取っているならば。
結局、同じ末路を辿る。
続けるためには、変化を受け入れる必要がある。
初心者の未熟さや、そこから生まれる変化を良しとしなければ。
物事はその代で終わるのだろう。
ここで導かれる結論は2つある。
一つは、変化を受け入れる器の広さが、長く継続させる鍵であることだ。
一つは、「俺様偉い」は気分が良く大勢が望むところであるということだ。
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