彼は学校の校舎の3階から飛び降りた。
大怪我をおって入院したが、命は助かった。
学校がいじめの有無を調べていたのを覚えている。
私の知る限りでいじめは無かった。
直接聞いたが、それは無いと言っていた。
親や先生が色々と苦心していたようだが、理由は判らなかったらしい。
そして、彼自身も自殺の原因は判らないと言っていた。
彼はこう言っていた。
「何にでも理由があると思うなよ」
私はそういう話や事象が怖いと思った。
怪我や病院や手術の話題が出るだけで鳥肌が立つ。
だから触れたくなかった。
しかし最近になって、彼の言っていたことを思い出した。
生き死には旅行のようなものだ。
この世とあの世の違いは、会える人が異なるだけだ。
彼はきっと、この世に執着や興味関心が無かったのだと思う。
これからの未来に全く期待をしていなかったのだろう。
後から考えたことだが、映画イノセンスにあったセリフと同じだと思った。
「肝心なのは望んだり生きたりすることに飽きないことだ」
彼は、自分の性格を「臆病」だと言った。
強気な性格ではなく、物静かで運動が苦手だった。
友達はいても、大勢の前で話したり目立った行動はしなかった。
臆病、逃避、彼は逃げていたように思う。
何から逃げていたかは判らない。
どこに逃げればいいのかが判らず、良くない所に迷い込んでしまったのだと思う。
人と関係を築いたり、友達を作ることはできる。
でも、人と仲良くする状態が嫌だった。
学校も、趣味も、家も、会社も、全ての人間関係をリセットした。
数年ごとに、何回も何回もリセットした。
それは良いことだろう?
彼の本質は逃げることなのだ。
そして、それが悪いことだと思っていない。
負けても悔しいと思わないし、勝つまで挑もうとも思わない。
攻撃や挑発を受けても、できるだけ回避して逃げる。
たとえ自分が大損をしても、逃げられるならそれでいいと思っている。
戦って勝つことに意味を感じない。
臆病で、億劫で、興味が無く、飽きっぽい。
何もかも投げ出して、リセットして、辞めて逃げればいい。
咎める人がいるならば、それも切り捨ててしまえばいい。
目と耳を塞ぎ、遠くに離れて、忘れてしまえばいい。
そうすれば全部なかったことになる。
20年かかって、彼の自殺の原因が判った気がする。
彼は他人から逃げたかったのだ。
興味を持たないで欲しかった。
言葉をかけないで欲しかった。
見るな、聞くな、記憶に残さないで欲しかった。
他人の言動、視線、行動、思考が不愉快で嫌だった。
だから、全部無くしたいと思ったのだろう。
無関心こそが心の平穏を保つ方法。
定期的に人間関係をリセットすればいい。
気に入らない人間を切り離し、遠くに逃げればいい。
20年かかって、ようやくそれに気付いたのだ。
今もこれからも、彼は元気でやっていけるだろう。
むしろ、他の人よりも強く生きられるとさえ思っている。
彼は私だ。
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