2014年5月10日

3Dプリンタと銃

この話題は触れないつもりだったのだが、気が変わった。

 

逮捕された方のツイートを拝見した。
気になったことを2点挙げる。

一点目、銃を持っても、人は強くならない。
二点目、うまく使えないのは3Dプリンタのせいではない。

この2点は、実は共通の問題である。
3Dプリンタも銃も、ボールペンやナイフと同じ、道具である。
道具は手段、手段としての物体である。
私は以前から、モノづくりの本質は物ではなく作りであると言っている。
物がペットボトルで作りはジュース。物が植木鉢で作りは花。
器は単なる媒体であり、中に込める作りの魂にこそ価値がある。

何が言いたいかというと。
銃という物体は単なる器であり、それを持っても人は強くなれない。
強い弱いに銃は関係ない、その人自身の問題である。
同じく3Dプリンタという物体も器であり、そう簡単に職人が要らなくなったり革命が起きたりはしない。
モノづくりに3Dプリンタは関係ない、その人自身の問題である。

 

もう一度言う。
モノづくりは、物ではなく作りである。

商品や設備を価値だと勘違いして、取引先や職人を切り捨てる。
製造現場を軽く見て、チャイナに投げる。
空のペットボトルや花の枯れた植木鉢を集めて喜んでいるようなものだ。
ゴミを集めて、価値を捨てていないだろうか。
昨今のモノづくりや製造業の問題点そのものを示しているように思う。

そういう意味では。
銃は危険だとか、3Dプリンタは危険だ、といった意見は容疑者と同じベクトルを持つ。
物体が本質だとして、物体に問題があり、物体を規制すれば解決だという考え方だ。

3Dプリンタという物体を規制することは無意味だ。
規制するのなら、銃の販売や拡散といった行為だろう。
そもそも、スーパーにナイフが売っていて、ホームセンターに斧やチェーンソーが売っている。
そこまでいかなくとも、ボールペンで刺すとかバールのようなもので殴ったほうがずっと現実的だから、今さら危険もクソも無いだろう。
難しい設計や製造を経て、何らかの方法で銃弾を入手できたとして。
爆発するかもしれない引き金を引こうなんてロシアンルーレットは御免だし。
そんなことをするのなら、グーで殴ったほうが1000倍早い。

 

誰が悪いとか、何が悪いという話をするつもりはない。
だが、物体を論点にするのなら容疑者と似た考え方であると気付いて欲しい。
モノづくりの本質である作りという行為、逆に規制すべき行為もあるだろう。
どのような行為、どのような経験に価値があるのかを、しっかりと見定めるべきなのだ。

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